ワイベッカーの砦を落としてから四日後。
 追放中の国王を大将とする国王軍は、残務処理に忙しい日々を過していた。
 大勝利を収めたのはいいが、こちらの倍とも思える軍勢がほとんど降伏してきたのだから、後始末も並大抵ではない。もっとも、敗残兵の処理に働いていたのは一部の将校たちで、兵士たちはそれぞれ報酬をもらい、次の戦に備えて馬や武具の手入れに励んでいた。
 そんな国王軍の中でも異彩を放っているタウの男たちもまた、城から離れた森の中の泉に気晴らしに来ていた。
 しかし全裸の彼らは、水浴びには似合わない深刻な顔をしていた。その中でも若頭ともいうべきツールのブランが、低い声で言った。

「つまりコーラルの連中、王様の親父さんを盾に取ってきたわけですかい?」
「そういうことだ。伯爵の命が惜しければ、これ以上進んでくるなと言いたいんだろうよ」

 返したのはタウの男たちの首領格、イヴンである。
 細身ながらも鍛え上げた体躯を泉の中で伸ばして、水の手ざわりを楽しんでいる。

「それで王様はどうするんで? ここで軍勢を止めるんですかい?」
「そうもいかない。こういう要求はひとつ呑むともうきりがない。進軍を止めるだけですむもんか」
「ですけど。王様にとっちゃ実の親父さんみたいな人なんでしょう?」
「奴らもそれをわかってるから言ってきたんだろう。あの馬鹿のことだ。軍の指揮は誰かに任せて、自分一人で王宮へ乗り込むくらいのことは言いかねない」

 真実味のこもった台詞に、他の七人がいっせいにため息をつく。
 しかし、悩むだけなら誰にでもできる。さて、これからどうしようかとタウの男たちが話し出そうとしたその時、頭上から場にそぐわない、鈴を鳴らしたような可愛らしい声が聞こえてきた。

「つまり、改革派はなりふり構ってられなくなっちゃったんだよ」
「国王軍に勢力がつきすぎたってこと?」
「うーん、それもあるけど、多分足元が燻り出してきたんじゃないかな?」
「あぁ、コーラルの人たちがウォルに傾いてきたんだ? それなら最初から追い出さなきゃいいのにねぇ?」

 明るい声と場の雰囲気にそぐわない会話だが、注目すべきはそこではない。

「……おい、嬢ちゃんたち」
「なぁに?」

 不思議そうに首をかしげるリィに、ぴしゃりとイヴンは額を叩く。
 高台の岩場に腰を下ろして日向ぼっこをしている、金髪と黒髪の少女たち。
 年頃の少女たちが仲良く寛いでいる様子は微笑ましいが、問題はそこではない。……眼下に裸の男たちの大群がたむろしているという事実だ。

「仮にも年頃の娘が、そろって覗きってのはどうなんだ?」

 イヴンは今更、本当に今更なのでこの二人相手に恥ずかしがることもないが、案外純情らしいタウの山賊たちは、陸に上がって服を着ることもできず、そろって股間を押さえながら泉を逃げ惑ってしまっている。
 しかし鍛えられた男たちの裸を気にした様子もなく、リィはちょっと首を傾げるように可愛らしく言い返した。

「別にそんなもの珍しくもないよ。ぼくにだってちょっと前までついてた」

 そういう問題じゃない。
 平然と返してきたリィに、どうにかしろとイヴンがもう一人に目を向ける。しかしもまた肩をすくめながらけろんとした顔で、言った。



「まぁいいじゃない。そんなに騒ぐほどの物じゃないし



 ――場が凍った。
 声なき悲鳴が一面に轟いた。
 怖ろしいほどの沈黙が舞い下りた泉に、ただ一人己の残酷さに気づいていないは、不思議そうに首を傾げた。
 少々青ざめているイヴンの顔を見下ろし、いささか引きつっているリィの顔を見て、声もなく固まっている山賊たちを見下ろして、再びリィとイヴンを見たところで、――ようやくは自分の発言に気がついたらしい。

「あ、いや、違っ!! あのね、今のはそういう意味じゃなくてね!? 『物』じゃなくて『事』だよね!! 別に見られたくらいで減らないというか、飛んで噛み付いてくるなら兎も角だよねって意味で!! 決してその、色々こう大きさとか形とかを馬鹿にする意味で使ったんじゃなくて! あくまで常識! 常識的な範囲で!」
「……。もうそのくらいで、ね?」

 再起不能な男たちに代わり、リィがそっとの肩を叩く。
 ついこの間まで彼らの一員だった少女さえ、つい目頭を押さえてしまうくらいの破壊力があった。現在進行形で男の彼らなら、言うまでもない。
 しかし言い訳すると、元の世界で『導尿』やら『前立腺検査』やらを勉強してきたとしては、今さら全裸の男が転がっているくらいできゃーきゃー騒げるはずもない。ちなみに詳しく調べることはお薦めしない。心が色々汚れる気がするから。
 概して男の痛みに鈍感である異性の友人にため息をついて、リィは身軽に立ち上がって服に手をかけた。

「まあ、いいや。僕も水浴びしよっと」
「おいちょっと待て――」

 いち早く立ち直ったイヴンが止めるのも遅く、リィは何の躊躇いもなく一糸纏わぬ姿になる。
 水面の妖精もかくやとばかりの瑞々しい肢体を惜しげもなくさらし、そして岩場から景気よく飛び降りてきた。
 軽やかな水音が響き、透きとおった泉に黄金の髪と白い四肢がきらきらと揺れる。一瞬心奪われる幻想的な光景に、気の毒な山賊たちは今度こそ――の目下であることも構わずに、ほうほうの体で逃走した。

「お前なぁ……少しは遠慮しろよ」
「何を?」

 そっちの事情なんか知ったこっちゃないと言わんばかりのリィは、まだ身を切るほど冷たい水面をかき泳いでいく。
 唯一泉に残ったイヴンがどうしてくれようかこのガキ、と疲れが滲んできた顔を浮かべたその瞬間、大取りを飾るに相応しい人物が登場した。

「おお、おそろいだな」
「あれウォル」

 呑気な顔で音も立てずに歩いてきたウォルは、岩べりのに近づいていった。
 のこのこと、それも一人で。
 言うまでもないことだが、今は戦時中である。
 『玉座を奪還するまで木に縛りつけておくかこの馬鹿……』と今夜あたり本気でドラ将軍に相談しようと決意している幼馴染の気も知らず、明らかに本陣を抜け出してきた元国王は魚顔負けに泳ぐリィにのほほんと手を振った。

「おいこら、軍議はどうした」
「話が行き詰ってしまったのでな。一時中断だ」
「だからって軍主が一人でのこのこ散歩してどうするのさ」
「しかし誰にも止められなかったぞ」
「……っ黙れど阿呆!! 一国の天辺がこっそり抜け出すなんて誰が思うか!!」

 怒声と共に飛んできたイヴンの靴に、まったくその通りだとリィとは深く頷く。
 しかし放逐中の元国王は幼馴染の説教をあっさりと受け流し、寝そべるの傍に剣を置くと、自らもまた服を脱いで泉に飛び込んできた。
 命とも言える剣をあっさり手放すウォルを叱るべきか、隣で国王のストリップが始まっても平然と日向ぼっこを続けるを嘆くべきか。意外と常識人な一面を持つ山賊は、とうとう怒声(という名のツッコミ)を放棄した。

「田舎の山育ちなんでしょ? その割りに泳ぎが上手いんだね」
「スーシャの湖では一日中泳いでいたこともある。これくらいなら軽いものだ」
「ふーん、ならどっちが長く潜れるか競争でもする?」
「ねぇ、私も入って――」
「「駄目!!」」

 見事なユニゾンが返ってきた。
 こういう時だけ見事な団結を見せる二人に、男尊女卑だパワハラだシャーミアンに訴えてやる、とぶちぶち呟いているは、先程それはそれは見事な逆セクハラをかましたことをきれいさっぱり忘れている。
 一人仲間外れにされて不満そうに岩べりに寝転がっている死神の娘に、そそくさと服を着込んだイヴンはふと首をかしげた。
 意外とは仲間はずれにされるのを嫌う。いつもならば服を着たまま飛び込むくらいはやりかねないのにどうしたことか、と色眼鏡のかかったことをイヴンは考えた。正しいか間違っているかは、ご想像にお任せする。
 どこから取り出したのか真っ赤な林檎にしゃくしゃく齧りついているに近づいていくと、ちらりと見上げただけで大人しく荷物番をしている。林檎を掠め取られても文句一つ言おうとしない。
 やはり言い様のないおかしさを感じたイヴンに、は何の気なしにこう言った。

「イヴン、私ちょっと出かけてくるね」
「おう。何処にだ?」


「コーラル城の北の塔」


 イヴンは齧りかけの林檎を噴いた。
 こいつのことだから欲しい医学書か薬草でも買いに行くんだろう。その程度の問いかけが、万倍の威力で返ってきた。
 この時代には爆弾という概念はないため、頭に金槌でも落ちてきた、または豆が鳩鉄砲食らったような驚愕の顔をしているイヴンに、は一つため息をついた。

「おまっ……正気か!?」
「私だって本当は行きたくないよ」

 燦々と晴れ渡った青空に似つかわしくない、重いため息をこぼしてみせる。

「だってさ、普通に考えなくても間違いなく死ぬよね私。ちょっと医学の無駄知識あるだけの武力も権力もない一般人が敵の総本山に乗り込んで人質奪還するとか本当ありえない超ありえない何ですかこれ死亡フラグってヤツですか俺帰ってきたらあの子にプロポーズするんだってか――!!??」

 てかー。
 てかー。
 てかー。
 途中からヒートアップしてきた叫び声に、平和なこだまが返ってくる。
 すわ何事かと振り向いたウォルとリィに、何でもないとばかりには手を振ってみせる。
 いかにも何事もありませんよー的な反応に、凍り付いていたイヴンの頭もようやく冗談を言えるまでには再起動する。

「死神の娘だろ? 首刎ねられても生き返ったりしねぇのかよ」
「……あのね。それ誰が言い出したか知らないけどね、私はごくごくふつーの人間だから! それに吸血鬼も狼男もゾンビも首ちょん切られたら死ぬの! 心臓打ち抜かれたら死ぬの!!」

 一部生き返るのは知っているが、あれは別格だ。
 誘拐拉致は日常茶飯事、銃声や爆発音が起きようが驚かない。身一つで異世界に放っぽり出されても就職先まで万全な女子高生を誰も『普通』とは言わないだろうが、本人のアイデンティティのためにもそこは触れないでおく。
 思いあまって足元の草をぶちぶちちぎり、雑草の山を生産し続けているに、イヴンもまた何となくだが状況が掴めた。
 そして寝そべりながらこう言った。

「嫌なら断りゃいいだろーが」

 の手が止まった。
 危険なら行かなければいい。当然の結論だろう。
 既に国王軍の医者として認められているのだ。一番安全な本陣の傍で、怪我人の治療をしていればいい。
 言下にそう言っているイヴンの視線を浴び続けたまま、は地面から目を逸らさずに、やがてぽつりと言った。

「……あんな、」


 フェルゼン伯爵の亡骸を奪いに行くのが目的じゃない。伯爵を確実に、生きて取り戻すためには、どうしてもが必要なんだ。
 ぼくができるだけ守るよ。だから一緒に来てほしい。


「……あんな言い方されたら、断れないじゃない」


 お手上げだ、とばかりにイヴンは肩を竦めてみせた。
 最初から出ていた結論に、第三者が口を出すことなど一つもない。ただ、決意を固めるためと緊張をほぐしたかったのだろうに、俺も甘いねぇとイヴンは一人唇を吊り上げる。
 そんなお隣の思いを知ってか知らずか、青空を背に受けて立ち上がったは、呆れるほどにあっけらかんと笑ってみせた。

「ま、これ以上ぐるぐる考え込んだウォル見てるのもつまんないし、いい頃合でしょ?」
「確かに、そろそろ限界だな」
「だからね、イヴン」
「あん?」

 見上げてきた青の瞳に、金色の瞳がにんまりと重なり合う。

「イヴンもウォルの説得、手伝ってね?」

 おそらく最大級の難所だろう、頭の堅い幼馴染。
 少女二人で北の塔の攻略など、絶対に頷くはずもなく。
 笑顔で無茶を押しつけてきたに、イヴンは濡れたままの短い金髪を乱暴にかき上げ、ぴしゃりと額を叩いてみせた。


「……やれやれ。うちの嬢さんたちは無茶ばかり言いやがるぜ」





 死亡フラグ云々は日本人としての嗜みです。
 次回もまたシリアス色が強めになると思います。

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