昨夜の戦の余韻そのままに、ワイベッカー城は活気に満ち溢れていた。 事実上の初陣を大勝利にて収めた国王軍は、戦後の事後処理に追われながらも、その顔は晴れやかなものが多い。 しかしその最終処理が一気にやって来た国王は、半日以上続いた書類や客人とのにらめっこに心底厭きたらしい。幼馴染を誘い、気分転換と称して外に出かけた時だった。 黒主を労っていたはずの少女が、人の波を割ってこちらへと走ってくる。 今回の戦の立役者を笑顔で迎えた国王に、少女は開口一番にこう切り出した。 「あのさ、知らない?」 「何だ、またおらんのか」 「医務室の方じゃねえか?」 国王軍の大勝利とはいえ、怪我人もいなかった訳ではない。 収容した改革派の捕虜たちの手当ても受け持っており、軍医たちは戦前よりもむしろ後の方が大変なのだ。 「ほら、鉄杖借りてたでしょ? 返しそうと思ったんだけど」 「ふうむ。ならば俺たちも行こう」 三人連れ添って歩き出した時、ざわりとどよめきが聞こえた。 敵襲かと身構えたが、どうやらその類ではなさそうだ。だが敵を前にした緊張感よりも、恐怖や悲鳴の度合いの方が強いのは何故だろう。 常人よりも遙かに豪胆なはずの騎士たちが、明らかに動揺しているのである。ただ事ではない。 遠くから響いてきたどよめきは段々近づき、そして三人の前に『現れた』。 「……あ、ウォルとリィ。イヴンも一緒?」 呑気な声が、三人の耳朶を打つ。 だがそれよりも強く、ひっと息を飲む音や唾を飲み下す音、そしてあちこちから神への祈りが聞こえてくる。 既に彼女と三人の周囲には、人っ子一人いない状況だ。護るべき象徴を置いて遠巻きに見守られている国王は、思わず頭を抱えたくなった。 一足早く立ち直った山賊が、おそるおそる声をかける。 「…………、お前……」 「うん?」 「……お前、なんつー酷い格好をしてやがる……」 「え、そう?」 イヴンが言いよどむのも無理もない。 一つに結んだ黒髪にはべっとりと血の固まりがこびり付き、赤黒く変色している。 元は何色かすら判断できない衣服から、が動くたびにぱらぱらと乾いた血粉が落ちた。離れた場所にまで鉄臭さが漂ってくるほどだ。 地獄の血の池から這い上がったのかと思わせるほど、髪の毛から爪先まで血塗れの姿。 そんな中で不自然なほど白い両手と、檸檬色の目が爛々と輝いている。 一目見るだけで、ぞっと寒いものがこみ上げてくる。 「麻痺してて全然分かんないや。酷い?」 「……ひどいも何も、そのまま歩けば死神と勘違いされかねんぞ」 「あらら」 そして価値観も麻痺しているようだ。 今夜確実にうなされそうな異形に、周囲の兵士たちも涙目になった者すらいる。ただ一人分かっていないは、暗褐色に染まった服に鼻を近づけて、首を傾げていた。 「こ、これっ! 陛下の御前にそのような姿で!」 「構わん」 急いで下がらせようとした指揮官を、国王は片手で制す。 そして軽い苦笑いを浮かべながらも、血塗れの娘に歩み寄っていった。 「。今まで治療をしてくれていたのか?」 「治療ってほどじゃないよ。はみ出た内臓と骨戻して、傷を縫って、血止めして消毒して包帯巻いただけ」 「……充分ではないか」 「充分不満です」 そう言って唇を尖らせたに、ウォルはつい笑ってしまう。 改めて言うが、今のは吸血鬼や口裂け女なんか目じゃない都市伝説レベルの異形である。この格好に慣れてきている辺り、ウォルの器の広さ――というか鈍さが伝わってくる。 「でもちょうど良かった。ウォルにお願いがあってね」 「お願い? 何だ?」 「実はね、新しい包帯とシーツと細い絹糸と強いお酒が欲しいんだけど。できればたくさん。それと男手が足りないから、何人か兵士さん回してくれないかな?」 両手を合わせて可愛くねだる。 だが今のでは何をしても怖ろしいので、国王以外では効果は半減どころかマイナス傾向だが。 「……ふむ。軍医長にも頼んだのか?」 「うん。でもせっかく一番上が知り合いなんだから、これを利用しない手は無いなーと」 あっけらかんと口にするに、ウォルは小さく吹き出した。 何ともまぁ、ぬけぬけと言うものだ。余りに堂々と主張するから、むしろ叶えてやりたくなってしまうのが不思議である。 国王もその例に洩れず、あっさり笑顔で頷いた。 「よしよし、手配しておこう」 「やった♪」 「しかし、その格好では兵が卒倒しかねん。湯浴みをするべきだな。――シャーミアン殿、を頼んでもよいかな?」 「……は、はい、陛下」 呆然と立ち尽くしていたシャーミアンも、慌てて頷いた。 一度理性を取り戻してしまえば、女は男よりも強い。近くにいた女中に急いで湯を沸かすように伝え、の手を引いて近くの空きテントへと連れ添っていった。確かにあれを城内に入れるのは危険だろう。 徐々に和らいでいく空気の中、首を鳴らしながらイヴンがしみじみ呟いた。 「あの嬢ちゃんも、リィに負けず劣らず強烈だな。こりゃ軍医の奴らも大変だぜ」 「……う、うむ……」 「ウォル、どうかしたの?」 「いや、実はその軍医長が、ついさっき俺を訪ねてきたのでな……」 ウォルはつい先程の出来事を反芻した。 こちらが心配になるほど青白い顔をした軍医長は、忙しい最中にも係わらず国王を尋ねてくるなり、開口一番にこう切り出したのだ。 「陛下、あの娘は何者でございますか」 「……何者、とは?」 それはリィのことか、はたまたのことか。 彼女たちの恐るべき腕前や根性の原因は、そんなものこっちが知りたいが。 そんな国王の内心を知ってか知らずか、軍医長は堅い表情のまま、きっと国王を睨みつけた。 「最初、陛下があの娘を軍医に混ぜてやって欲しいとおっしゃられた時は、失礼ながら、贔屓が過ぎるのではと思いました」 「……うむ」 ではの方だな。 ようやく話の中心人物がつかめたウォルだが、そんな様子をおくびにも出さない。表面だけは威厳たっぷりに軍医の話を聞いている。 「陛下。わたくしはこの職に付いて、四十年になります」 「そなたには多々感謝している」 「勿体ないお言葉です。……ですので、長くこの職におります故、一目見れば助かる者と助からぬ者との区別ができて参ります」 薬も包帯も人の手も、無限ではない。 どんなに手を尽くしても死んでいく者たちより、助かる見込みのある者たちに手を尽くすのが、最終的には一番多くの人数を救うことができる。 時にはその苦しみから楽にしてやることも、軍医の務めとなるのだ。 「なのに、我らが助からぬと診た者が、あの娘の……殿の手にかかりますと、たやすく息を吹き返すことができるのです」 その目には嫉妬と恐怖、そして――賛美の光があった。 兵士たちが軍神のごとき剣を奮う少女に憧れを抱くように、彼らもまた己にはない物を持つ娘に対して、感動さえ抱いていたのだ。 思わず無言になる国王に、尚も軍医長は詰め寄った。 「殿は医薬神の弟子か、死神の娘ではありませぬか?」 「……」 「陛下、お教えくださいませ」 真剣な軍医の眼差しに、国王は必死で苦笑いを堪えた。 バルドウの娘の次は死神の娘である。まったくとんだ拾い物をしたものだ。 そんな国王には笑い話でしかない話を聞いたバルドウの娘とタウの山賊は、こちらも余りの勘違いにしみじみと頭を振ってみせた。 「それで、どうしたのさ?」 「は遠い島国の生まれで、デルフィニアとはまた違う医術を知っているのだと言っておいたが、あの様子では俺の言葉なぞ聞こえてはいるまいな」 「死神の娘、ねえ……?」 軍医の思考が理解できないイヴンは、本気で首をひねっている。 あの血塗れの格好を見れば死神が現れた、というのも分かるのだが、リィよりも余程平凡な存在であるに憧憬や尊敬といった感情を持つのは難しい。……恐怖なら経験済だが。 「ま、死神よりはとっつきやすくて話の分かる嬢ちゃんだよな」 「だろう?」 「なら、それで充分じゃないかな」 三人三様の苦笑が浮かぶ。 そんなどこか朗らかな空気に溢れた彼らの元に、 「い――や――だ――ッ!!」 悲鳴が響いた。 一瞬ビルグナ砦の再来かとも思ったが、違う。声は野太い男のものではなく、涙ながらに訴える、しかも聞き覚えのある声だったからだ。 何事かと固まった三人を無視して、悲鳴は尚も聞こえてくる。 「、駄々を捏ねずにさっさと着なさい!」 「嫌ったら嫌だっ!!」 「貴女の服は汚れが落ちなくてもう着られないのよ! いいからこれを着て!」 「だってシャーミアンの服でしょそれ!? 絶対胸があまってお腹がきつくて手足の裾を折らなきゃいけないのに! 自分から恥さらして歩きたくない〜っ!!」 「――ッ!!」 わっと泣き伏したに、シャーミアンの雷が落ちる。 これだけ大声で叫んでいる時点で、恥も何もあったものではない気もするが。 オウショクジンシュがどうのソウショクシュギがどうのと泣き言を言うに、シャーミアンはとうとう女中の手を借りて、力ずくで着替えさせているようだ。 「「「……」」」 テントから響く音声だけで、中の光景がまざまざと浮かぶ。 かなり手こずっているシャーミアンの様子に、を宥めてくるよとテントへ走るリィの背中を見送りながら、昔からの幼馴染はぽつりと呟いた。 「……前言撤回だ。あんなのが死神の娘でたまるかよ」 「……かもしれんな」 やけに夕焼けが紅かった、その日の夜。 国王軍の元に、コーラル城からの使者が届いた。 そして、父親の命が惜しければ即座に降伏するか指揮権を放棄しろ、という恥を知らぬような申し出が伝えられたのである。 今までで一番難産でした。 次回は多分シリアス一色になると思います。 Back Top Next |