「ひどい隈だな」

 痛々しいものでも見たようにウォルの眉が顰められる。
 その日に焼けた精悍な顔を見上げながら、久々にウォルの顔を見た気がするな、と、は心の片隅で呟いた。
 いや、違う。自分が顔を合わせないようにしていたのだ。

「お前の元気がないと、リィが心配していたぞ」
「そんなことないよ」

 そう言い返したとて、目の前の顔はまるで信じていない表情のままだ。
 まるで病人を見るような痛ましげな瞳に、つい目の下を触りながら、その視線から逃れるように顔を背けてしまう。けれどそれ では間がもたなくて、は口を開いた。

「何か用事でもあるの?」
「ああ。お前に礼を言っていなかったと思ってな」
「……」
「父上を救ってくれたこと、感謝している」

 その言葉に導かれるようにウォルを見上げかけ、その視線から逃げるように、は顔を俯かせた。

「……私は何もしてないよ」
「そんなことはあるまい」
「違う!」

 思わず荒げた声にも、ウォルの眼はただ静かに、を見守っている。
 その優しさが怖くて、ヒビキは爆発しかけた激情をなだめるように床をひたすら睨み付ける。

「……私は何もしてない。伯爵を助けたのはリィとシャーミアンで、それを助けたのは隊長だから。……私は最後まで役立 たずの、足手纏いだった」
「だが、お前は父上のために尽力してくれたのだろう?」

 ぽん、と突然頭に置かれた手の暖かさに、、は思わず弾かれるように顔を上げた。
 そして見上げるウォルの顔がゆるゆると笑み崩れていく姿に、有り得ないものでも見るような眼差しで呆然と息を飲んだ。

「それなら俺は礼を言わねばなるまい」
「……」
「リィやシャーミアンどの、それにお前が父上を救おうと命を懸けてくれたことに変わりはないのだ」
「……っ」
「俺は感謝している」

 頭を撫でる手が、ひどく熱かった。
 そんな温もりに緩みそうになる涙腺を叱咤しながら、はぐっと歯をかみ締めた。

「そんなの、当たり前だよ」
「そうか、当たり前か」

 嬉しそうに笑いながら、なおも頭をなで続ける。
 その感触がくすぐったくて、顔に血が昇っていくのが自分でも分かる。

「……っそれに、ウォルのお父さんなら私の父親も同然でしょ?」
「ああ、そうだな」
「……ここは否定するとこだよ?」

 否定もせずにこにこと笑うウォルに、は仕方ないなあとでも言いたげに――何日かぶりの笑顔をやっと浮かべることができた。







 マレバ前哨戦から、五日が経過した。
 軍医というものは戦があるまでは暇だが、いざ戦が始まると二、三日の徹夜は当然の如く忙殺されるものだ。
 帰ってきた途端に軍医長率いる軍医たちにに拉致・監禁され(間違ってない)、消毒と麻酔と縫合とペニシリンについて説明 と使用法を要求され、ついでに作ってもらった医療器具の手直しをしたり、手洗い・うがい・歯磨きの習慣を徹底させてみたり 、のやるべきことだけは山のようにあった。
 一戦交えたにしては有り得ないほど少ないらしい味方の負傷者の手当て、逆に目が回りそうなほど大量にいた捕虜の手当て、 そして多分これが一番多かった軍医たちの怒涛の質問攻撃もようやく一区切りついて、何とか は自由な時間が少しばかり手に入るようになった。
 何しろそれまでは一日の睡眠時間が何時間、などと悠長に数える暇さえなかったのだ。労働基準法が存在しない中世レベルの 世界に落ちてしまったことを初めて後悔した。眠いよう眠いようなどと呟きながら歩いていたら、死神の娘が眷属と話してる って噂が流れているから止めなさいとシャーミアンに怒られた。理不尽だ。
 しかしながら、夜更かしは現代っ子の特技である。

「? はーい」

 消灯する前の空いた時間を利用して、頭に焼き付けられた医療知識を思いつくままガリガリ書き上げていたは、人目を憚るような小さなノックに立ち上がった。
 そして返事をしながら扉を開けたとたん、目に飛び込んできた血に染まった騎士服に、は一瞬で頭を切り替えた。

。すまないが内密に頼めるかな」

 すまなそうに声を潜めるナシアスを無理やり部屋に引きずり込み、急いで外科手術の道具一式を取り出してナシアスの服 を剥ぎ取って上半身裸にする。何か言っていた気もするが全部無視した。

「ちょっとチクっとしますよ」

 全身麻酔にいつ挑戦するべきか、それより注射針の太さの統一が、などと頭の隅で考えながら両手をアルコール消毒して局所 の伝達麻酔を注射し、半月状に曲がった針に絹糸を通す。
 ナシアスの傷――明らかにさっき負ったばかりの剣傷――は見た目こそ酷いものの、幸いなことに主要な血管や神経は無事 だった。血管を結紮して腱と筋肉を縫い合わせた後、傷口を細く縒った絹糸で縫い合わせ、包帯とガーゼで患部を固定し、最後 に三角巾で左腕を吊れば完成だ。
 半月もあれば完全に塞がるだろうが、現在が要安静であることに変わりはない。

「はい、終わりました。一週間は動かしちゃ駄目ですよ」
「ああ、ありがとう」
「毎日診に行きますから、問題なければ十日後には半抜糸ってことで」

 念のため痛み止めを渡そう、とごちゃごちゃと荷物が溢れかえった部屋を物色し始めたは、ようやくこの事態の異常さを理解した。
 戦中ならともかく、今はマレバに向かう移動の最中だ。曲者にやられたならもっと大事になっているだろうし、自分がナシアス の天幕に呼ばれるはずだ。それに副官のガレンスが傍にいないのがおかしすぎる。
 思わずまじまじとナシアスを見つめながら首を傾げてしまったに、当の本人は困ったように微笑むだけだ。

「……聞かないのかい?」
「教えてくれるなら聞きますよ?」

 茶目っ気たっぷりに笑ってみせ、わざと明るい雰囲気を作ろうとするに、ナシアスはそれに甘えるように微笑を作ってみせた。

「君たちは……君とリィは、時々驚くほどよく似ているね」
「それっていい意味でですよね?」
「勿論だよ」

 そういう風に聞こえません、などと口を尖らせながら荷から薬と酒の用意をしてくれる――怪我人は飲酒禁止、と普段あれほど 口を酸っぱくしているのに――に感謝しながら、何気ない風を装ってナシアスは尋ねてみた。

「もし、陛下が陛下でないとしたら、君はどうする?」
「え?」


 ウォル≠ウォル。
 ウォル is not ウォル。


 駄目だ。さっぱり分からん。
 元々勘は鋭いもののなぞなぞの類はちょっと苦手なは、ちょっと考えてから思いついたことを口にすることにした。

「……えーと、実はウォルは双子だったとか?」
「……は?」
「王族の双子は禁忌とか不吉だとかよくあるネタですか? それとも頭を打って記憶喪失? まさか今の今まで影武者だった とかオチは嫌ですよ? あ、夜になると月に向かって吠えたりか美女の生き血を求めて徘徊したりするとか? もしかしてま さか記憶をコピーしたサイボーグ、いやそれとも前の王様のクローン体だったり……!?」
「いや、そうではなく」

 後半をさっぱり理解できなかったが、的外れなことだけは理解した。
 しばらく逡巡したものの、ナシアスは声を潜めてそっと尋ねた。

「陛下が、前王の遺児でないとしたら?」

 はぱちぱちとナシアスを凝視し、ぐりんっと首をひねり、そのまま横に百八十度かしげ、そしてしばらく天井を見つめ た後、もう一度ナシアスを見て、ぱかっと口を開いた。

「……え、今さら?」
「ああ、本当に今さらだ」

 DNA検査ってどうやるんだっけ、いや前の王様のお墓掘り返すわけにもいかないし、などと血液型検査もままならない現実を 無視して頭を捻ろうとしたは、ナシアスの苦悩する顔にとりあえず疑問を一時棚上げした。
 共和宇宙暦育ちの人間であるには予想もつかないが、ナシアスたちにはナシアスたちの苦悩があるのだろう。

「大丈夫ですよ、きっと」

 何の根拠もない、能天気な台詞だ。
 けれど今のにはそれ以外が思いつかなかったことも事実なのだ。

「ウォルも普段はまったりのんびりだけど、王様の格好してあれだけ王様に見える人なんて中々いませんから。もしかするとその 新事実の方が間違ってるかもしれませんよ」
「……君たちは、本当に肝心なところでよく似ているね」

 多分これは良い意味なんだろうな、と小さく礼を言いながら、新たな大問題の予感には心の中で大きくため息をついた。





 書けないところは飛ばしちゃいなよYou!
 という神様のお告げが来たので、ちょっと時間が飛んでいます。

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