ウォルは内心嘆息した。
 女神の使いと思わせるような少年の次は、異国の顔立ちをした檸檬色の瞳の娘である。
 こんな山奥には不釣り合いの簡素な、しかし仕立てのいい服に身を包んでいる娘は、あからさまに安堵した様子で少年の方へと足を進めてくる。

「良かった、君もいたんだ」
「……」
「事情が飲み込めてないんだけど、これは一体――」



「君、だれ?」



 娘の声に覆いかぶせるように、少年は鋭く切りつけた。
 その言葉に、娘はそれまでと違った意味でぱちくりと瞬きを繰り返した。
 少年の警戒など見えていないかのように、何度も少年の顔を見つめては首を傾げるを繰り返す。
 そして何かを確認するかのように、ゆっくりと言った。

「……えっと、私を知らない?」
「知らない」

 少年は素っ気ないほどきっぱり言い切った。
 けれど少年の言葉に気分を害する様子もなく、娘は小さく首を傾げてみせる。

「あー……、そうなんだ」
「うん」
「えっと、それじゃ、ここはどこだか分かる?」
「ロシェ街道ってとこから外れたところらしいけど?」
「……ロシェ?」

 まるで先程の誰かのように、娘もまた眉をしかめた。
 どうやら少女と同じく、この娘も迷子らしい。そんな二人の様子に、内心穏やかではないのは一部始終を見守っていた男の方である。何が起きたかは知らないが、そんな悠長なことをしていられない。

「……お前たち。ここは危ない、早く逃げたほうがいい」

 その言葉に、少年の翠色と、娘の檸檬色の視線が男に向けられた。
 忠告した男に、金髪の少年の方が口を出した。

「君は?」
「なに?」
「君の行く先は?」
「俺は東へ向かう。デルフィニアにな。行かなければならない」

 厳しい表情で言う男に、少年は立ち尽くす娘を見て、そして男を見上げた。

「君と一緒に行く」
「おい!」
「行くあては無いんだ。それに、人には東に行くなって言っておいて、自分は向かうってどういうことさ?」

 自分より確実に一回りは年下であろう少年の真摯な視線に、男は幾ばくかたじろいだものの、助けを求めるように娘を見て――ぎょっとした。
 地面に投げ出された死体の傍にしゃがみ、血が吹き出した首筋に手を当てている。

「お、おい!」

 静止を無視して、娘は事切れた男の手を組み合わせ、瞼を閉じさせた。そしてそっと両手を合わせた。
 あまりに自然すぎる、ただ死を悼む姿。
 とても年頃の娘には似つかわしくない、死体を前にしても落ち着き払った様子に、男は一瞬飲まれたものの、すぐに現実へと帰ってきた。
 同じくそれを傍観していた少年も、娘の動作が終わったと見るや、すぐさま男に向き直る。

「早くここから逃げた方がいいんじゃないか?」

 少年の正しい指摘に、男もまた頷いた。
 突然現れた怪しげな者たちだが、二人とも死ぬには早すぎるし、片方には命を救われた。追っ手にむざむざ殺されるのは、忍びない。

「そうだな、詳しいことはあとだ。来い」









 男は近くに馬を隠していた。
 だが三人ともなると、そう早くは走れないだろう。
 ひとまず一番軽いだろう少年から乗せようとするが、少年は首を横に振って乗ろうとしない。

「いい、走る」
「馬鹿を言うな。急いでここから立ち去らなければ、命が危ういのだぞ」
「僕が走る方が、その願いはすぐ叶うんだけどな」

 やや面白そうに言って、少年は肩をすくめた。

「少なくとも僕は、その馬よりは早く走れる。――ほら、君も乗って」

 耳を疑うようなとんでもないことを言ったあと、少年は娘の背を押して乗るように示す。
 娘もまた逡巡していたようだが、少年を止めはしない。少年に腕を貸されてぎこちないながらも、何とか馬の背に腰かけた。

「じゃあ、あの木まで競争しよう」
「おい、馬鹿を言ってないで早く……」

 馬に乗れ、と言おうとした男の言葉を待たぬまま、少年は走り出していた。

「待て!」

 男は手綱を取り、娘を懐に抱える形となって馬の腹を蹴った。
 娘と男の二人だけならば何とか速度も出る。少し急がせただけで、軽やかに走る少年に追いついてしまう。
 男は馬上から、横を走っている少年を見下ろして声をかけた。

「言わぬことではない。後ろに乗れ」

 三人はきつくとも、うち二人は子供だ。馬には無理をさせるが、相乗りすることもできる。
 しかし、少年は走りながら馬上の男を見上げて、にこりと笑ってみせた。

「鞭、持ってる?」
「おい、困らせるな」
「使った方がいいよ」

 言うなり、少年の速度がぐんと上がった。

「な、にっ!?」

 驚いたのは、馬上の男の方である。
 上体を低く沈めた少年の背中が、みるみるうちに遠ざかりはじめたのだ。

「ばかなっ」

 思わず鞭を振るい、男を乗せた馬は全速力で疾走しはじめた。ところが、それほどの勢いで馬を駆っているのに、前を走る少年にどうしても追いつけない。
 そうこうしているうちに、二人は丘の木のところまで辿りついていた。

「勝ちぃ……」

 流石に疲れたのか、少年の額にはうっすら汗が光っている。
 男も続いて馬を止め、地面に降り立った。半ば反射的に娘に手を貸して馬から下ろしてやってはいたが、男の身体は激しく動悸を繰り返していた。

「言ったとおりだろ?」
「お前の足は……どういうつくりだ? 魔法でもかかっているのか?」

 少年は首をかしげ、青い顔をした男に逆に尋ねてきた。

「おかしい?」
「なに?」
「二本足の僕が馬より速く走ったら、おかしいかな?」
「当たり前だ」

 男の言葉に、少年は小さく頷いた。

「じゃあ、もうやらない」

 どういう意味かと、男の方が首をかしげた。
 男が一人考えをめぐらせていると、少年が嬉しそうな声を上げた。

「小川がある」

 男も考えるのを中断し、口元をほころばせて馬の手綱を引いた。

「ちょっと体洗っていいかな?」

 少年の一言に、男は一も二もなく頷いた。
 先程の戦いで血塗れになった少年は、さっさと身に付けているものを脱いで川の中へと入っていく。
 そういえば静かだな、と視線を巡らせてみれば、娘は地面に蹲っていた。
 ううう、と唸っている様子から見るに、どうやら馬に酔ったようだ。その馬が心配そうに顎を娘にこすり付けているのが微笑ましい。

「おい、大丈夫か」
「……あんまり……」
「無理をせず、休んでいろ」

 ようやく緊張がほぐれてきた男も、着ているものを脱いで血を洗い流しはじめた。
 その時、少年の素っ頓狂な叫びが聞こえてきた。

「なんだぁ、これ!?」

 その声に、男と娘は顔を上げて少年のほうを見た。
 そして、目をまん丸にして硬直した。

「……へ?」

 呆けたような娘の声に、我に返った男は慌てた。

「すまん! まさか、娘だとは……!」

 少し失礼な言い訳をしながらも、男は急いで目をそむけた。
 川岸にいた娘が、呆気に取られたような顔をして川に入りかけている。レモン色の双眸は大きく見開かれ、今にも転がり落ちそうだ。
 娘は何度か口を開閉させ、――ややあって呟いた。

「……あ、なるほど。何かおかしいなと思ったけど、女の子だから違和感あったんだ」



「ぼくは男だよ!!」



 少年の――いや、少女の悲愴な叫びが響きわたった。





 名前変換なしでした。
 この連載は、”暁の天使たち”を前提にして進んでおります。
 賛否あると思いますが、とりあえずデルフィニア戦記のみを念頭に置いてお読みください。

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