「……。お前は残れ」


 突き放したウォルの声。
 冷たく一線を引こうとする台詞に、はぐっと唇を噛んだ。









 話は、今朝に遡る。
 昨日の雨が嘘のような天気のおかげで、彼らは驚くほど順調に歩んでいった。
 暫くもいかない内に、デルフィニアに辿りつくだろう。
 大の大人も舌を巻くような健脚のリィと、見た目以上に持久力のあったを眺めながら、ウォルは道沿いの酒場を指差した。

「少し、足を休めるか。朝から歩き通しだったからな」

 朗らかな笑顔は、一変することになる。
 旅人のたあいない噂話を食い入るように聞き入っているウォルに、リィとも不思議がりながら耳を傾けた。
 ウォルと関係があるのだろうか、という予測が確実になったのは、『フェルナン伯爵』という言葉が出てきた瞬間だった。

「フェルナン伯爵って知ってる人?」
「父だ」

 リィの問いに、前を見据えたままウォルは答えた。
 旅人たちとは正反対の、東。――デルフィニアを目指したまま、歩みを止めようとしない。
 鬼気迫る、怖ろしくすらある背中。

「ウォルはじゃあ、お父さんを助けに行くの?」
「当たり前だ。見殺しにできるか」

 事もなげに言ったが、その困難さは事情を知らないにすら分かる。
 国都に罪人として幽閉されている人を、単身のみで助けに行く。……その危険さと無謀さが、解らないウォルではない。
 そっと息を吐いたは、それまで動いていたウォルの影が止まったのを見て、反射的に足を止めた。
 顔を上げてみると、厳しい漆黒の視線が見下ろしてくる。

「……ヒビキ。お前は残れ」

 突き放したウォルの声。
 冷たく一線を引こうとする台詞に、はふいと目を逸らし、それでも言った。

「……足手まといって、こと?」
「そうだ」
 辛辣にウォルは言い切った。
 心地よい空気に、忘れていた。……いや、忘れようとしていた。これから自分が向かうのは、汚濁と血に塗れた場所なのだということを。

「お前は若い、機転も利く。独りで生きていけるだろう」
「……」
「デルフィニアは荒れる。国境から離れて、パラストにでも身を寄せろ」

 突き放すべきなのだ。
 ぺールゼンの手の内に近づき、再び命を狙われる前に、傷ついてしまう前に、この呆れるほど図太く、優しい娘を逃がしてやりたい。
 は、何の関係もないのだから。
 リィもそんなウォルの思いを感じてか、口を開こうとはしなかった。

「だから、ここで別れよう」
「……」
「ヒビキ? 聞いているのか?」

 あまりの反応の無さに、苛立ってウォルは声を荒げた。
 そしてようやく地面から顔を上げたを真っ向から見て、息を飲んだ。
 それは爛々と燃える、金の双眸。


「……『貧しい時に受けたパンは、命ほどの価値がありましょう』」


 歌うように紡がれた言葉。
 この場とはかけ離れた、穏やかな言い回しに、ウォルとリィは眉を寄せた。

「……何だそれは?」
「私の世界で数百年ベストセラーの、本の一説なんだけど」

 いつもより柔らかい声。
 苦笑するような楽しげな声で、肩を竦めながらは話を続けている。

「これと似たようなので、私の故郷には『一宿一飯の恩義』ってのがあってね。意味は、自分が困っていた時に差しのべられた手には、十倍二十倍の礼を返せってこと」
「……それが、どうした?」
「つまりね、私はいっしょに行くよってこと」

 ウォルの額に青筋が立ったが、勿論そ知らぬ顔をしてにっこりと笑う。
 類稀な濃いキャラクターの友人たちに囲まれたおかげで、これくらいの怒気は平気で受け流せてしまう。あぁ友よ、人生何が役立つか分かったものじゃない。

「お前は、話を聞いていなかったのか!?」
「それはウォルの理屈でしょ。私だって私の理屈がある」

 お得意の笑顔を貼りつけたまま、は一歩前に出る。
 怯むことのない視線を真っ向から受けて、そしてその眼を見返して、ようやくウォルは悟った。
 この娘は、怒っているのだ。

「……死ぬかもしれんぞ」
「私だって死にたくないよ。やってないことも、やり残したこともいっぱいある。いざとなったら自分の命最優先で、いの一番に逃げるから大丈夫」
「役に立ちそうにもない」
「うん。私には剣の腕も、お金も、この世界の知識だってない。でも二人より三人の方が、助かることが色々あると思うから」
「この場で気絶させ、置いていく手もある」
「『フェルナン伯爵』を助けるために、『ペールゼン』に仕返しするために、『デルフィニア』に向かう。これだけ情報があれば探せる。私一人だけならちょっと怪しまれるだけで、多分簡単に国境を抜けられるよ?」

 正にのれんに腕押しだ。
 何を言っても譲ろうとしないに、ウォルはちっと舌打ちをした。どうしてこう自分の周りには、強情で自分勝手な者が集まりやすいのか。

「――

 ウォルの手が、剣の柄に触れた。
 温和なはずの黒の双眸が鋭利に細められ、ただ静かにを見下ろしている。

「面倒になる前に、片づけてもいいのだぞ」

 ぐっと肌を刺す殺気に、思わずの腕も腰に伸びる。
 ウォルの腕前ならば一歩進み出るだけで、の命を簡単に奪えるだろう。
 映画やフィクションの世界ではない、戦場のごとき本物の殺気を真正面から受けながらも、それでもは微笑んでみせた。

「……なら、全力で逃げる。それでまたウォルを探して、一緒に行くよ」

 死にたくない。それは本当だ。
 たった十七年で幕引けるほど、自分の人生に自棄になっているわけではない。
 それでも、ここまで面倒を見てくれたお人よしで猪突猛進な青年を放っておくのは、間違っていると思うのだ。

「死なないように頑張るから、仲間外れにしないでよ」

 呆れるほど据わった肝は、異世界のもの共通なのか。
 自分の味方になろうとしている相手に殺気を向けているのが馬鹿馬鹿しくなって、ウォルは得物から手を離してしまった。
 そして傍観者に徹していたリィが、棒立ちになったウォルの腰を――肩を叩きたかったが、背が届かなかったので――叩いて、リィはそっと言い聞かせた。

「諦めなよ、ウォル」
「……っ俺は知らんぞ!」

 勝った。
 どうにでもしろ、と言わんばかりのウォルにガッツポーズを決めたは、すぐさまウォルとリィの横に走り寄った。
 一つは、無理矢理でもついて行くという意志の現われ。
 そしてもう一つは、――徐々に輪を狭めて近づいてくる怪しげな男たちへの、体勢を整えるために。

「何人?」
「十四……五ってとこかな」

 言いながら、リィは姿勢を正す。
 人通りのない林道には邪魔者がおらず、正に襲撃者には打ってつけだ。

「あれほど啖呵を切ったのだから、生き延びろよ、
「命がけで努力します」

 そう茶化して、はゆっくり深呼吸した。
 目下最大の目標は、死なないこと。そして二人の邪魔にならないこと。
 いぎたないことだけは定評のあるヒビキは、腰から伸縮型のロッドを取り出して、いつでも受けられるようにキッと前を見据えた。






 反則的かつ、急所ばかりを突いた戦術。
 洗練された騎士たちの剣術とは正反対の、文字通り生きるためなら何にでもしがみ付く戦法だった。
 だが、悪くはない。
 決定的な勝利が遠のく代わり、負けることもないのだから。

「充分戦えるじゃないか、
「……うん、私も、ちょっと驚いた、かも……」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、は大きく頷いた。
 最終的には二十人近く現れてきた敵を倒したのは勿論ウォルとリィなのだが、それまで持ちこたえたの根性に二人は感服した。
 自身も、友人のロッド練習に便乗して時々ちょっと揉んでもらっていただけなのに、まさかこれ程効果があるとは思ってもみなかった。

「自衛とは勿体ない。その腕なら、見習いの騎士ともよい勝負になるぞ」
「どこが!? どれだけ疲れた後に試合しても、目ぇ瞑って足使わないで片腕だけってハンデ貰って、それでも誰にも一回も勝ったことないんだよ?」
「……の友達って、僕みたいのだよね」

 感覚ズレてるんじゃないかなぁ、と呟いたリィの言葉は聞こえていない。
 暇潰しと見せかけて、かなり根を入れて教え込んでいた友人たちの狙いも、数年後の再会まで、気づかないままだった。

「大体、ウォルが王様ってどういうこと?」
「いや、色々と事情があってな……」
「そうだ、一体どうなってるのさ? お父さんを助けるんじゃなかったの?」
「ま、待て二人とも、順を追って話すから……」

 件の『ウォル・グリーク陛下』発言。
 戦いのせいで一時忘れていた新事実と、当然溢れ出てくる疑問に、リィとは揃ってウォルを睨みつける。
 説明を求めてくる子供たちに詰め寄られながら、ウォルは空を仰いだ。

 ――何とも賑やかな旅になりそうな予感がした。





 ウォルは大人なので、自分から突き放すと思うんです。
 その心配する気持ちを知って、無理矢理付いて行くのがヒロインです。
 ちなみに聖書云々っぽいセリフは、漫画スパイラルからちょっとお借りしました。

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