ドゥルーワ王の血筋、魔の五年間。
 そして義父からの告白、騎士バルロとの出会いからペールゼンの陰謀まで。
 自分の半生ともいえるそれを話したウォルに、ヒビキは大きく息を吐いた。
 まるでファンタジー映画だ。しかしこれは、紛れもなく現実に起きた出来事なのだ。

「さて、王様。これからどうする?」
「まともな道は進めんな。遠回りになるが、山を越えるしかあるまい」

 切り倒した曲者はそのままに、三人は面倒になる前に急いで山道に入ろうとしたが、そこで三度目の邪魔が入った。

「馬の足音がする」

 リィの示した先には、何の影も見えていない。
 便利な耳だなぁと思いながら、は仕舞いかけたロッドを改めて構える。

「できれば殺さずに済めばいいのだが、やり過ごせそうにもないな」
「馬からたたき落として、木に括りつけるってのは?」
「よし、やろう」

 けれど駆けつけてきた馬が、彼らに襲いかかることはなかった。
 馬の足は近づくとともに徐々に緩まり、騎乗していた騎士たちはウォルの姿を見つけるや否や、馬から下りて地面に膝を付いたのだ。

「ご無事で何よりでございました、国王陛下!」







 案内されたダール卿の居城は、パラストとデルフィニアの境に建てられていた。
 目に見える国境でもあるテバ河は、流れこそ穏やかなものの、単なる小川とは違う、相当の深さがある。そんな川に身を乗り出すように造られた城に、リィとはつい目を瞬かせた。

「これ、ひとつ間違えば国境審判を問われるんじゃない?」
「よく建設中に文句が出なかったね……」

 塀から向こうの柿の実は、お隣のもの。
 地面を這って顔を出した筍は、こちらのもの。
 一個人の家でさえ苦情が飛び交うというのに、まさか国家間でのほほんと了承した訳でもあるまい。
 年頃の娘たちらしくない殺伐とした会話に、ウォルは苦笑を洩らしていたのだが、リィとの驚きはそれだけでは済まなかった。

「……派手だねー」

 率直なの言葉は、実を現している。
 外は質素倹約、中は絢爛豪華。
 元の時代であれば税金対策とすらとれるかもしれない、戦闘用の城とは思えない贅沢な内装に、ウォルもまた呆気に取られたようだった。

「ここ、ほんっとに戦闘用のお城?」
「の、はずなんだがな……」

 それまで野宿中心の旅を続けて薄汚れた三人は、居心地悪そうに身じろぎした。
 塵ひとつなく磨き上げられた大理石の床に、ずっしりとした垂れ幕が至るところに掛けられた壁。あちこちに一目で高価と分かる絵画や花瓶が並べられ、呆れるほど豪華かつ巨大な家具や暖炉の上には、精緻な絵皿や燭台が置かれている。

「いかんな。育ちがさもしいせいか、金貨が並んでいるように見える」
「僕にだってそう見えるよ」
「……ちょっと失敬したくなるよね」
「それは流石に泥棒だぞ」

 苦笑混じりにをたしなめていたが、ウォルもまた城の内装を目の当たりにして、口元は笑っていても眼が笑っていない。
 普通の家族が一年暮らせる絵皿と聞いては、すら、何て無駄な金の使い方だと思わざるをえない。

「陛下。どうぞこちらにお召しかえを……」

 数人の召使いが、しずしずと着替えを持って現れた。
 確かにこの汚れひとつない城内では、砂埃と返り血に汚れたウォルたちの服装は、嫌がらせ以外の何者でもないだろう。
 離れてその様子を眺めていたリィとヒビキに、女中の一人が不審そうな顔をした。

「これ、何をしているのです。お前たちも陛下のお召しかえをお手伝いなさい」

 思わず二人は、緑と琥珀色の目を丸くした。
 役立たずとばかりに冷たい目で睨んでくる女中たちに、もつい零してしまう。

「……手伝おうか?」
「止めてくれ。むずがゆくてたまらん」

 苦笑してそれを断ったウォルは、女中の一人に手を振った。

「その娘たちは小間使いではない。構わんでいい」
「は、ですが……」
「それよりも、その二人にも着替えを用意してもらえないか」

 ウォルの言葉を即座にリィは断ったが、ヒビキはありがたく受けた。
 一週間近くワイシャツとジーンズを騙し騙し着ていたのだが、流石にくたびれて汗臭く、これ以上は無理がある。しかし女物は動きづらいので、適当に理由をつけて小姓の服を頂くことにした。







 その後、久しぶりに手の込んだ夕飯――というか豪華すぎる晩餐の食事自体は美味しかったのだが、同席したダール卿は、リィやに不快な印象しか与えなかった。
 ウォルが同じ庇護を、と頼まなければ、同じ食事が出てきたかも怪しい。
 とりあえず美味しい食事に罪はない、とリィの分のデザートまで平らげたは、野暮用を済ませて宛がわれた部屋に戻ってきて、目を剥いた。

「……ねえ、リィ」
「うん」

 二人でこの部屋を使え、と示されたは、部屋の中央に仁王立ちになっているリィに、恐る恐る声をかけた。

「あのさ、この部屋にベッド……無いよね?」
「無いよね」

 そう相槌を打ったリィの声は硬い。
 目を凝らしてみれば、不自然に広くなった場所に何か置かれていた形跡はあるのだが、寝台本体がどこにも見当たらない。
 まったく意図が読めないで首を傾げているに、リィはようやく顔を上げた。

「……嫌な予感がする。ウォルのところに行こう」
「荷物は?」
「離さない方がいい」

 ウォルの部屋は、廊下を挟んだ向こう側だ。
 頑丈な木造りの扉を叩くと、すぐに返事が返ってきた。案の定、ウォルも寝間着に着替えてはおらず、寝台に座ったまま思案している風だ。
 こちらには堂々と鎮座している大きな寝台に、リィとは顔を見合わせた。

「どうした。眠れないのか?」
「そういうわけじゃないけど……」

 城主の意図を薄々感じていたものの、リィはすぐ口には出さない。
 明らかに様子がおかしい騎士や召使いたちに、ウォルもまた違和感を感じていたらしく、難しい顔をして考え込んでしまった。

「ねぇ、ウォル」
「うん?」
「きみの従弟は、きみが生きてる限り絶対、王様にはならないだろうって言ったよね?」
「ああ」
「そしてペールゼンって人は、どうしてもバルロさんを王様にしたいんだよね?」
「何しろ他に成人した王族はいない。バルロの母上、ドゥルーワ王の妹アエラ姫は別だが……国民が承知すまい」
「つまり、ペールゼン公爵はどうしてもきみに死んでもらいたいわけだ」
「そう言ったではないか。実際この半年、俺は何度も襲撃されたのだぞ」

 ウォルは呆れて言い返したが、リィは硬い表情を崩さない。

「ちょっと考えてごらんよ、ウォル。だったら、ただの暗殺じゃまずいよ。逆効果だ」
「なに?」
「だってバルロさんはペールゼンと仲悪いんでしょ? それにバルロさんはきみと仲が良くて、きみの王権を認めてる。ということはペールゼン侯爵が、だよ? きみを暗殺して何食わぬ顔で、放浪中のウォル王の死亡が確認されましたので王位を継いでくださいなんて言ったら……」

 ウォルは、はっとなった。
 ここまで来れば、にも話が読めてくる。

「バルロさんはそれはお気の毒なことでって言って、あっさり王様になる?」
「……いや、あの熱血漢のことだ。俺の死体をその目で見るまでは決して信用しないだろう。いや、見たとしても……」
「体中に斬られた傷なんかが残ってたら、まずいよねえ」
「草の根分けても犯人を捜しだし、火あぶりにしてくれる。ぐらいのことは言うだろうな。」
「ペールゼンにはとことんありがたくない状況だよね」

 そこでウォルはちょっと苦笑した。

「意外なところに俺の命の安全があったものだ」
「どうだかね。何度も襲われたって事は、気づいてなかったのかもしれない。少なくとも今まではね。」
「リィ……」

 何が言いたい、と尋ねてくるウォルに、リィはゆっくりと言った。

「一番都合がいいのは、ウォル・グリークって王様は、王冠を持つには値しない、どうしようもない最低の人間だって証明することだ。バルロさんでも諦めるしかないくらい」
「例えば?」

 ウォルは思わず声を低め、精悍な顔に緊張感すら漂わせている。
 それまでリィの表情は真剣そのものだったが、ウォルの問いに、軽く肩を竦めながら言った。

「向こうの僕らの部屋、寝台が置いてないんだ」
「なんだと?」
「いくつか家具は置いてあるけど、寝室じゃない。僕は床の上でも構わないけど、は眠れないよね。君があれほど僕とヒビキにも同じ庇護をと言ったのに、ダール卿も客人と扱うって断言したのに、変じゃないか」

 確かに変だ。
 相手がどんなに身分の低いものだったとしても、一夜の宿を与えるのに寝台の置いていないところへ案内するわけがない。

「で、こっちの部屋を覗いてみたら、立派な寝台が置いてある。となればね、僕らと君を一緒に寝かせたかったんだとしか思えない」
「リィ、いったい……」
「話を戻すよ。君の評判を地に落とす方法。例えば……例えばだよ。君が本当は、年端もいかない女の子を、や僕を無理矢理寝床に引きずり込んで悪戯するのを楽しむような、歪んだ性癖の持ち主だった……なんていうのはどう? あげくその最中に死んだとなったら?」

 ウォルは息を呑んだ。
 リィも恐ろしいくらいの真剣な顔で、ゆっくりと頷いた。

「君の名誉も評判も木端微塵だ。たとえでっちあげにしても、君と僕らの死体がこんなところで折り重なって出てきたら、誰だってそう思うはずだよ。王室始まって以来の醜聞になる。まさかおおやけにも出来ない。  国王の名誉を汚さないためにも、デルフィニアの評判を落とさないためにも、ウォル王は旅の途中、事故死したことにするしかない。君の不名誉をかばうために、バルロさんだって口裏は合わせるだろうし、後は王冠をかぶるしかない」

 チェックメイトだ。
 何とも手の込んだ暗殺方法に、は内心嘆息した。
 確かにどこの世界の政治家でも趣味性癖はもっとも急所だが、余りに悪辣で手段を選んでいない。それほど相手が本気になっているという見方もあるが、それにしてはなりふり構わない――。
 そこまで考えて、ははたと思いついた。

 国王の寝室に、男女三人。
 相手が一番望んでいるシチュエーションじゃないか!

 慌てて扉に走りよっていったを、ウォルとリィの視線が追った。

?」
「……開かない、閉じ込められた!」

 取っ手を押しても引いても、ぴくりともしない。腹立ちまぎれに蹴っ飛ばしてみたが、爪先が痛くなっただけだ。

「どいて!」

 叫ぶと同時に剣を引き抜いて、リィは扉の合わせ目に斬りつけた。
 ギンッと鈍い音を響かせて鉄の錠前を真っ二つに両断したところへ、体当たりをかませる。
 盛大に開かれた扉の向こうから、異様な匂いに気がついた。

「火事だ!」
「ええい、走るぞ!」

 長い廊下を一気に走りぬけたが、火の回りの方が速かった。
 既に階段は火に舐めつくされ、一つしかない逃げ道を遮られた三人は、元の場所へと追いやられてしまった。

「やるしかなさそうだな」

 ちらりと二人を見たリィは、顔を強張らせているに近づき、ひとつ頷いた。

の方が軽いか」
「え? は? って、ちょっ、うわ!」

 突然の視界が動かされた。
 言うなり丸太でも担ぐように、自分より背の高い娘をひょいっと肩に担ぎ上げたリィは、倍も重そうな男を見上げて言った。

「合図したら、飛び降りてこい」
「な……馬鹿を言うな!」
「ままま待って待って、まだ心の準備が――」

 叫ぶを無視して、リィは窓から身を躍らせた。

「――ッ!!」

 ヒビキの声にならない悲鳴が、宙に舞った。
 ぐうっ、と世界が反転したような感覚と、地面が目の前に飛び込んできて。
 気づいた時には、はリィの肩から屋上に降ろされていた。
 くらくらと眩暈を感じてしゃがみ込んでしまったを一瞬見て、リィは大きく手を振った。

「ウォル、早く! 焼肉になりたいのか!」

 間を置いてから、剣が放り投げられる。
 そして城の最上階から、剣よりも遥かに大きなものが落ちてきた。
 それがウォルだと視認した瞬間、は一瞬目を閉じた。だが飛び下り特有の鈍い破裂音が聞こえてこないことに、恐る恐る目を開いて――血の気が引いた。

「リィ!?」
「しっかりしろ、リィ!」

 ウォルが抱きかかえている小さな少女は、ぴくりともしない。
 ぐっと唇を噛みしめてリィを抱え上げたウォルに、もまた自分のすべきことを思い出し、投げ出されたウォルとリィの剣を拾い上げた。

「泳ぎは?」
「大丈夫、平気」

 先程より高さはないとはいえ、夜の川に飛び込むのだ。
 は二人の剣と自分の荷物をしっかり抱えると、大きく息を吸い込んで耳抜きをする。
 そしてリィを背負ったまま屋上の縁から跳躍していったウォルを追って、今度は目を開いたまま、黒い河の流れへと身を躍らせた。









「リィ……!」
「どいて、ウォル」

 河から上がった途端、小さな身体を揺さぶろうとするウォルを制して、は手を伸ばした。
 喉に触れて脈をはかり、ふくらんだ胸に手を当てて心音を確かめる。その手馴れた動作に、ウォルはが医者の卵だと言っていたことを思い出した。

「……大丈夫、だと思う。呼吸も脈も安定してるし、骨も折れてない」
「本当だな!?」

 最後に身体のあちこちを触って断言したに、ウォルは改めてリィの身体を揺すり、大声で名前を呼んだ。

「リィ! ――グリンダ!」

 思わずが再度止めかけるほど、ウォルは手荒にリィを起こそうとする。
 やがて少女はかすかに呻くと、うっすら目を開いた。

「気がついたか」
「……おまえ、重いぞ」

 目の前のウォルの額をぴしゃりと打ち、ぐったりしながらも毒舌を浴びせるリィに、ウォルとはようやく安堵の息を洩らした。

「その元気があれば大丈夫だな」
「リィ、これ噛んで。気付け薬だって」
「うん……ここは?」

 が差し出した薬草を口に含みながらも、リィは空ろに辺りを見回した。
 少し流されたらしい彼らの場所から、燃え落ちようとしている城は、充分すぎるほど鮮やかに見えた。黒い水面にまるで赤い雪のように飛んでいる火花に、リィは呆れたように言った。

「派手なことをやる……」
「呑気なことを言っている場合じゃない。動けるか?」

 城の方から、慌しい声が聞こえてくる。
 どうやら炎上する城から逃げ出したのに、気づかれたらしい。おびただしい数の人間が近寄ってくる気配がする。

「かなりの数だ。三十はいる」
「逃げるが勝ちだな」

 いつまでも座ってはいられない。
 ふらつきながらも立ち上がろうとするリィに、慌ててが手を差し出した。

「おい、大丈夫か?」
「大丈夫かじゃない。おまえ、俺の上に倒れこむ時、思いっきり肘鉄を入れたんだぞ。ただでさえでかい図体なんだ。もう少し考えて落ちてこい」
「すまん」
「……あのさ、そんな呑気な場合じゃないんでしょ?」

 呆れたの声が、二人に横槍を入れる。
 段々増えてくる追っ手の数に、必然的に森の中へと分け入っていった三人だが、そこは月や星の光すらも届かない暗闇である。
 明らかに足が鈍ったウォルとに、リィが苛立って駆け戻ってきた。

「何してるんだ。急がなきゃ追いつかれる」
「駄目だ、とても思うようには走れん。これがスーシャの森ならばある程度進めるのだが……」
「……ごめん、私も全然見えない」

 まるで情けない二人に、リィは軽く息を吐いた。

「まるで見えないのか?」
「当たり前だ。明かりもなしに……」

 言いかけたウォルの腕を、リィは取った。
 あれ、と呆気に取られたの前で、リィは背負い投げの要領でウォルの体を浮かせ、楽々と背負い上げた。

「リィ!」
「騒ぐな。手を引くから、は何も考えずに走るんだ」
「わ、わかった」

 が頷くや否や、リィは走り始めた。
 ものすごい速さだった。
 葉どころか木の陰すらまともに見えない森の中、リィはまるで一本道を走るかのように、迷いもせずに疾走する。
 ヒビキは共に走るというより、引きずられる形で前に進んでいく。
 地面を蹴る一歩一歩がとても長く、まるで宙を飛んでいるようだった。
 大の男を背負い、足手まといの娘を引いているというのに、よろめきもしない。巧みに切り株をよけ、木の根をよけ、不安定な起伏の多い地面を、少女は飛ぶように駆けた。
 たまらず眼を細めながら、ウォルは叫んだ。

「お前、見えるのか!?」
「これだけ星明りがあればな」

 松明の火も燃えおちる城も、たちまち遠ざかっていく。
 ウォルは知らず知らずのうち、少女の背中に必死にしがみついていた。
 どのくらいそうして走り続けたのか、やがてリィは速度をゆるめ、木々が開けた場所まで来て立ち止まった。
 地面におろされるのを待つまでもなく、男は慌てて飛び離れた。
 少女はさすがに息を荒くしていた。
 決して軽い荷物ではなかったのだ。細い肩が大きく上下している。
 今の今までその背に背負われていたのだが、自分のしがみついた細い肩や背中の下には、一体何があるのかと急に恐ろしく、薄気味悪くなった。

「なんて顔してる」

 顔の汗をぬぐってリィは言った。
 そして横を見てみれば、ずっと繋いでいるの手が、小刻みに震えている。
 突き放さないだけましか、と呟いたリィは顔を歪めながら手を離した。

「お前たちも、俺を化け物と呼ぶのか」
 自嘲するようなリィの言葉に、ウォルは慌てて首を振った。

「違う。ただ……その、お前のいたところでは、皆がお前のような生き物かと思っただけだ……」
「だったら化け物呼ばわりなんかされない」
「…………」
「おれはどこにいても『異常』だった。自分でそう言ってるのに人間ときたら、俺の外見だけを見て喜んで、ちやほやもてはやして触りたがる。そのくせ、ちらりとでもおれが自分らしく振る舞おうものなら、とたんに掌を返して化け物の大合唱だ」
「…………」
「おれは、おれだ。どんなに異様に見えようと、こういう生き物だ。それがどうしてそんなにいけない?」

 泣きそうだ、とヒビキは思った。
 憤然とした怒りに満ちた口調なのに、こうして見上げている美しい顔は、何かを堪えるように弱々しく我慢している、そんな気がした。
 ウォルもまたリィの感情の揺らぎを感じ取ったのか、ようやく口を開いた。

「リィ、……グリンダ。おまえには一人の味方もいなかったのか?」
「…………」
「皆がみんな、おまえを化け物と呼んだのか? 本当に、一人残らず?」

 リィの緑柱石の瞳が、大きく揺らぐ。
 明らかに動揺したその表情に、ウォルは質問の答えが『否』だと知った。

「それならそう、すねたり悲しんだりするな。お前のその顔と姿は、女ならば心底から望むものだし、その足と健の腕前は、男の誰もが切望するものだ。それほどの贈り物を与えられていながら、ヤーニスに感謝も贈らず、呪いの言葉を吐きちらすなど、贅沢というものだぞ」

 逆に羨ましいくらいだ。
 恐ろしくきっぱりと言いきられて、少女は大きく瞳を見開いた。

「お前……、ほんっとに変な奴だな」
「お前に言われたくはない。第一、これで三度目だ」

 リィはくすりと表情を緩めた。
 男もにやりと笑いかけたが、すぐに顔を引き締めた。

「確かにお前を少しも恐ろしくないと言ったら、嘘になる。向かい合っている相手の正体が分からないというのは、リィ。想像以上に恐ろしいことだぞ」
「…………」
「だが、お前は俺の命を救ってくれた。何度もだ。とくに今は、お前がいなければ、俺は燃えおちる城に取り残され、こうして話もできなかった。たとえお前が何であろうと、その恩を忘れ、命の恩人を化け物呼ばわりするほど、俺は恥知らずではないつもりだ」
「…………」
「信じられないなら誓ってもいい。決してお前を化け物とは言わない」

 真摯なウォルの言葉に、ふいとリィは顔をそむけた。
 星明りで分かるほど、耳が赤く染まっている。
 言葉を伝えきったウォルが肩を落としたのを見て、もまた立ち上がると、そっとリィの両手を取った。
 ――今度は、自分が伝える番だ。

「前、友達に魔法使いがいるって言ったよね」
「……うん」
「リィは私の友達によく似てるよ。人間離れした能力とか、綺麗な顔とか。……彼らと知り合ってから、私は何度も助けられた」

 全部巻き込まれたせいだけど。
 そんな余計な言葉は飲み込んで、はリィを真正面から見つめて、なおも言った。


「私は力も、容姿も、権威も、本当に何もない、ただの平凡な人間なんだよ。……そんな私を『友達』って呼んでくれる彼らに、仇で返す真似だけはしたくない」


 彼らは今、どうしているだろう。
 天使と悪魔の両面をもつ、呆れるほどお人好しな彼ら。

「私にはそれしか、返せるものが無かったから」

 会いたい。
 この世界に来て、初めて強く、そう思った。
 けれど今は、目の前のリィの双眸を覗き込んで、ゆっくりと微笑んだ。うまく笑えている自信は無かったけれど。

「遅くなったけど、助けてくれてありがとう、リィ」

 少女はゆっくりを見上げた。
 その視線はすぐに地面に降ろされたけれど、リィは握られている両手を掴み返した。

「……羨ましいな」
「え?」
「何でもない!」

 ぱっと両手を離したリィは、お互い煤と泥まみれの姿に、笑みを浮かべた。
 火事場から逃げて、河に飛び込んで、さらには森を走りぬけたのだ。顔も手も真っ黒になってしまった彼らは、地面に身体を投げ出した。

「あーあ、また身一つになっちゃったね」
「構わんさ、無為の王というのも面白い。それに剣だけは手元にある」

 そう言いながら、暫く手元から離していた剣を拾う。
 地面に投げ出されていた彼らの全財産を見て、ふとウォルは違和感を感じて、を見た。

「……
「うん?」
「気のせいか、お前の荷が大きくなっていないか?」


 ぎくり。


 何とも分かりやすく反応したヒビキに、ウォルとリィは揃って顔を見合わせた。
 今朝まで彼女が異世界から持ってきた、小さな荷物一つだったはずなのに、この転がっている皮袋はどうしたのか。
 これは何かある。

「何入ってるの?」
「え、えーと、実は夕食のあと、召使いの人から分けてもらった薬草各種と、ナイフ一式と、着替えの服、地図の写し、あとは干し肉とか乾果とか、それから……」
「「……」」

 出るわ出るわ、店でも開けそうな量だ。
 国王の付き人という立場を利用して、用意してもらったものだ。
 旅道具を補充させてほしい、という図々しい願いは顔をしかめられたものだが、結局はが頼んでいないものまで揃えてもらった。役得役得。
 次々出てくる皮袋に関係なさそうな石のようなものが入っているのを見て、リィはつい手を伸ばした。

「こっちは?」
「あっ!」

 ごろんっ、と重たそうな音をさせて転がったのは。
 ギラギラと眩しい黄金の台座に、青や赤や緑など色とりどりの爪ほどもある宝石が嵌め込まれた、何とも無駄に高価そうな――拳大の女神像だった。

「……」
「……」
「あ、はは……」

 嫌なことに、ウォルはそれに見覚えがあった。
 自分にあてがわれた寝室の、豪奢な箪笥の上に並べてあった、置き物の一つのはずである。

「…………」

 あの短時間で、本当に失敬してきたらしい。
 何という素早さだ。

「いや、飛び下りる前に目について、どうせ燃えるなら金目のものをと思ったら、つい手がね」
「全く気づかなかったぞ」
「……これが本当の、火事場泥棒ってやつだよね」

 呟いたリィの声も、唖然としている。
 図太い性格だ、有言実行の娘だとは思っていたが、まさかここまで抜け目ないと予想もしなかった。
 何とまぁ、地面に足をつけた子供だろうか。
 絶対に、ヒビキはどこに行っても大丈夫だ。強く、しぶとく、前を見据えて生きていけるに違いない。
 無駄にそう確信してしまったウォルとリィが黙ってしまったのを見て、は恐る恐る、二人の顔を覗きこんだ。

「……これ、捨てた方がいい?」

 どことなく残念そうなの顔に、ウォルとリィは互いの顔を見合わせると――しかめつらしい表情を作り、重々しく頷いた。

「いやいや、貰えるものは貰っておこう」
「危ない目にあった駄賃だよね」


 地面に転がった金の置き物が、ぴかりと光る。
 夜は、明けようとしていた。





 ヒロイン、初盗みでした。(オイ)  だって全部燃やすなんて、勿体ない。

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