真東へ行けば、コーラルがある。
 だがウォルはそれを選ばず、南東に進むと言った。何か心当たりがあるような様子に首をかしげたものの、リィとも何も言わずに同行していた。
 歩き始めて三日後、ビルグナ砦を目にしていた。
 その姿はウィンザ城と同じく飾り気のない、無骨な姿だったが、その規模や雰囲気は段違いだ。
 高い塔の上からは何人もの見張りの姿が見え、城壁にはよく見ると矢狭間が開いているし、正門には兵用の詰所まで設けられている。

「へえ、立派な砦だね」
「ウィンザと雰囲気が違うよね」
「当たり前だ。あんな浮ついた城とは違う、内も外も戦闘用の城だからな」

 誇らしげに言ったウォルは、臆することなく砦にまっすぐ歩いていく。
 堂々と近づいていった三人の姿は当然兵士に見咎められ、城門の上から大声で問い質された。

「止まれ! 何者だ!」

 兵士の声に負けぬ大きさで、ウォルは貫禄充分に叫び返す。

「ラモナ騎士団長に伝えろ! 主君が会いに来たとな!」
「なに?」

 兵士は一瞬いぶかしげな声になる。
 だが一目で長旅を続けてきたと分かる、二人の娘連れの自由戦士なぞに、なぜ自分たちの指揮官を臣下扱いされねばならないのか。

「この野良犬めが! 世迷言をほざくな! 我がラモナ騎士団はデルフィニア国王以外の主君は持たん!」
「その王だ! 馬鹿ものめ!!」
「……ひ、ひえっ!?」

 驚愕のあまり、その兵士は窓から転がり落ちそうになった。
 内部が一気に慌しくなった様子に、リィとは顔を見合わせてそっと笑った。
 やがて砦の可動橋が下ろされると、真っ先に駆け出してきて国王の前に膝をついたのが、ラモナ騎士団長、ナシアスだった。

「陛下! ウォル・グリーク国王陛下! どれほどこの日を待ちわびましたことか!」

 感慨深げにウォルを見上げる瞳には、真情があふれている。
 喜びに満ちた声は、今にも抱きつきそうな勢いだ。
 淡い金髪を肩まで伸ばした、繊細かつ柔和な面差しとすらりとした痩身は、言われない限り騎士だとは思わないだろう。詩人か学士といわれた方が納得がいく。
 ほとんど涙ぐまんばかりのナシアスに、ウォルも瞳を潤ませた。

「ウォルって、本当に王様だったんだね」
「信じてなかったの?」
「いや、こうして目の当たりにして、ようやく実感が……」

 こそこそと失礼な話をしていた二人に、話が一段落したウォルが手招きした。
 橋を渡ろうと近づいていく娘たちに、居並んだ騎士一同は唖然として、目をまん丸にしたのだった。

「陛下、その娘たちは?」
「これはグリンダと。俺の友人だ」

 尋ねたナシアスに、ウォルはあっさり紹介した。
 しかし、そんな簡単な説明で紹介された方は、たまったものではない。当然ぎょっとたじろいだ。

「……おとも、だちで?」
「ああ、そうだ」

 そう言われても、騎士たちには納得がゆきかねるようだった。
 見るからに薄汚れた、白い布で頭をおおった少女と、黒髪をばっさりと肩辺りで揃えた娘。
 黒髪の娘は男物の小姓服に身をつつんでいるし、少女などは身体に合わぬ、不釣り合いな剣まで下げている。しかも稀に見る名剣だ。
 身のまわりの世話をさせる小者か何かだと思っていた騎士たちは、二人をぶしつけな眼差しでじろじろと眺めてくる。
 ナシアスもまた首を傾げつつ、問いかけた。

「その、失礼ですが、どういう身分の者たちでございますか?」
「俺も詳しくは知らん」

 そう言えば聞いておらんな、とウォルは思った。
 知っているのはリィの類稀な剣の腕と、が医者の卵というだけである。
 変わらず呑気なウォルの言葉に、その場にいたものはざわっとどよめき、若い騎士の一人が意気込んで主君に迫った。

「おそれながら、国王陛下に申しあげます。氏素性の知れぬものを置かれますのはいかがなものかと……。今の陛下は王座奪回を抱えた大事なお体。いくら用心しても、過ぎるということはございません」
「もっともです。この娘たちの素姓と、在所が何処なのかは確認せねばなりますまい」

 その言葉に、は居心地悪そうに身じろぎした。
 素姓など聞かれても、つい先日飛ばされてきたばかりだから、答えようがない。
 騎士たちの厳しい視線や態度に、ウォルは苦笑いながらも口添えする。

「しかしな、この娘は俺の命の恩人なのだ。国王たるもの、受けた恩を忘れるわけにはいかんからな。手厚く遇してやらねばならん」
「そ、そちらの娘もですか?」
「いや、こっちは助けられた恩を返すといって、無理矢理ついてきたのだ」

 ナシアスは水色の瞳を白黒させた。
 大らかな性格とは思っていたが、ここまで酷いとは予想外だった。
 恩人、という言葉に騎士たちも不承不承下がったものの、リィとを取りまいて口々に話しかけた。

「これ、娘。おまえは陛下のためにどのような働きをしてみせたのだ。過分なお言葉ではないか」
「うむ。おまえのような小娘が陛下の命の恩人とは、身にあまる名誉だぞ。いささか理解に苦しむところだが……」
「詮索はよせ。陛下はこの娘のことを忠実であるとおっしゃったではないか。今は一人の味方も惜しいところなのだぞ。これからも誠心誠意お仕えしてくれ」
「まったくだ」

 しきりと頷きあう騎士たちに囲まれて、ぐっとリィがその小さな拳を握った。
 最上級の緑柱石すら敵わない双眸に、雷が走る。
 は見覚えのあるその眼に、ほんの少しだけ目を細めてみせた。

「……
「私は残るよ。約束だから」

 リィのしたいように、と笑ったは、旅道具の入った荷物を押しつけた。中には食料や地図から、件の女神像まで入っている。
 一瞬でリィの思惑を感じとったの目は、うっすら金色に輝いていた。

「時々会いに来てね」
「ああ、元気で」

 リィは一つ頷いて、踵を返した。
 囲みを抜けて、砦とウォルに背を向けて歩いていくリィを、は少し淋しげに見送った。
 だがナシアスと話していたウォルは、それに気づいて大声を上げた。

「リィ! どうした!?」

 聞こえているはずなのに、リィは振り返らない。
 どんどん遠ざかっていこうとする。
 振り返ろうとすらしないその姿に、ウォルは慌てて後を追った。

「リィ、どうしたのだ。コーラルは方向が違う。そっちではないぞ」

 ここで初めて、リィは足を止めた。
 体ごと振り返って、真っ向からウォルの顔を見上げたのである。

「ここでお別れにしよう。きみはコーラルに行けばいい。ぼくは他のところへ行く」
「リィ!?」

 男は驚愕した。
 慌てて周囲を見回してみれば、少し離れたところにの姿がある。

! これはどうしたんだ!」
「さぁ?」

 さらりとは受け流した。
 意図してやっているのだとしたら、いっそ見事なほどだ。

「なぜだ。俺とともに来ると、手伝うと言ったのはお前のほうではないか」
「ウォルの方こそ、自由戦士だと言ったぞ」
「……」
「仕える主人も持たず、領地も持たず、剣一本で世を渡っている自由戦士。そう言ったはずだ」
「それは、あの時はそう言うより他に……」
「俺も自由戦士だ」

 リィはきっぱりと言った。

「おれが手伝い助けようと言ったのは、同じ戦士の心を持つものだ。人に命令したり、忠誠を求めたり、自分のために役立つように強制したりする奴じゃない」
「リィ、それは……」




「この剣と戦士の誇りにかけて、俺は誰にも命令されない。そんなことは許さない。まして誰かに忠義をつくしたり、仕えたり、ありがたいお褒めのお言葉なんかをもらうのを喜びにするのはまっぴらだ!」




 苛烈な言葉だった。
 緑の瞳に怒りの炎が燃えている。
 後をついてきた騎士たちは、少女のものの言い方に驚きを隠せないでいる。
 ウォルは真剣な顔で、ゆっくりと首を振った。

「誓って、お前を臣下と扱うつもりはない」
「お前がそう思っても、まわりが許さない。どこの馬の骨とも知れない奴が、国王にこんなものの言い方をして、なれなれしく友達扱いするとはとんでもないと言うはずだ。コーラル奪回には、おれより大勢の兵士こそが必要なはずだ。だからここで別れる」
「リィ。待ってくれ」

 少女の言うことはまさしく的を射ている。しかし、今ここでこの少女と別れることなどできなかった。
 理屈ではない。計算でもない。
 男の心のもっと深いところが、そう言うのだ。

「お前の言うとおり、いかにも俺が国王だ。ならば臣下の者たちには俺のやり方に従ってもらう。お前は、お前たちは俺の友だ。誰だろうと文句は言わさん」

 きっぱりと断言する。

「もし、お前たちを友と扱うことで部下たちが俺の味方をしないというのなら、仕方がない。お前と父を救いにコーラルを目指そう。ロシェの街道でお前が言っていたようにな」

 決意に満ちた男の口調に、リィの心は少し揺らいだようだった。
 ウォルもそれを感じ取ったのか、リィとを交互に見て、ちょっと口元をほころばせる。

「第一、お前、行く当てもないと言っていたではないか。それならここにいろ。俺のように物わかりのいい道連れを見つけるのは至難の業だぞ。それに俺とお前以外に知り合いのないを、こんな男の巣窟に置いていく気か?」
「言い方がかわいくないぞ、おまえ!」
「こら、私を引き合いに出すな」

 即座に言い返したリィだが、紅潮しているのを見ると、図星だったかもしれない。
 それまで二人を見守っていたも、ウォルの言葉に渋面をつくる。
 だが今のウォルは、リィを引き留めるためなら文字通り何でもしただろう。真剣な表情をして、に向き直った。

、お前はどうなのだ?」
「……私は臣下でも何でも構わないよ。恩を返すまでは、ウォルに付きまとうって決めたから」

 ただ、とは付け加えて、



「へりくだって畏まって、絶対ウォルを否定しない相手と、厳しい言葉を投げられても、絶対に信頼できる相手」



 にっこりと笑ってみせた。

「どっちを選ぶかは、ウォル次第だよね?」
「……それは脅迫だろう」

 大切なものを選べないならそれまで、と言下に示すに、今度は国王が渋面をつくる。
 既にウォルの心は決まっている。
 しかし、だからといって、この少女は素直に折れたりはしない。一回りも年の違う男を見上げて、憤然と言い放った。

「まわりくどいこと言ってないで、傍にいて欲しいならそう言って頼んだらどうなんだ!」
「では、頼む。傍にいてくれ」

 真顔で言った男に、リィは一瞬、二の句が告げなかった。

「それとも膝を折って頼まなければ駄目か?」

 急いで首を振った。
 この男にそんな真似はさせられなかった。

「リィ、。俺には、もはや選択の自由さえもない。コーラルを取り戻し、王権を奪回するより他に道はない。だからこそ、お前たちにいてもらいたい。臣下としてではなく、友として力を貸して欲しい。そもそも俺はお前に三度も命を救われ、その恩に何も報いていないのだぞ」
「……」
「俺はこれ以上の臣下は望まん。王座を追われたといえ、忠実な部下たちが俺には大勢いる。だがな、昔のように俺の名を呼んでくれるものは、ただの一人もおらん。父でさえそうなのだ。一人ぐらいは、ウォルと、名を呼んでくれる友が欲しいと思うのさ。……お前たちに、それを望んではいけないか?」

 少女はしばらくじっとたたずんでいた。
 男も黙ってその答えを待っていた。
 やがて少女は、ゆっくりと言った。

「おれは、王さまのロウ・デルフィンなんて人は知らないぞ」
「ああ」
「今までみたいに怒鳴りつけたり、かつぎ上げたりするぞ」
「ぜひ、そうしてくれ」

 頭一つ分以上も身長差のある二人は、互いの目を目をのぞきあって、同時に微笑を浮かべた。

「ほんっとに変な王さまだ」
「誉め言葉と取っておこう。来てくれるな?」

 少女は頷いて、唖然としている騎士一同に目をやった。気の毒に、目の前の情景がとても信じられないといった顔つきである。
 多難な前途を象徴しているようで、リィは大きくため息をついた。

「どうなったって知らないからな」

 ウォルは顔を輝かせた。
 けれどその場で一番喜んだのは、他でもない、だった。
 押し殺していた息を一気に解放して、表情を滅多に変えない顔つきを綻ばせ、いかにも嬉しそうにウォルとリィの傍に走りよっていく。

「あぁ、良かった! ウォルが引き止めてくれなかったら、本当にどうしようかと思った」

 ほっと息を吐いたに、ウォルとリィの視線が向かう。
 するとあの態度は演技か、確信犯か。
 居残る理由の一つでもある黒髪の娘に、意趣返しを兼ねてか、リィはいたずらっぽく尋ねてみせた。

「ちなみに、ウォルが僕を止められなかったら、どうしてた?」
「え? 幻滅してた

 笑顔で言った。
 下手にどなられたり、諭されるよりよっぽど怖いのは気のせいか。
 想像するのも怖ろしい。そんな事態にならなくて良かったと、ウォルは半ば本気で胸を撫で下ろした。

「……って、けっこう性格悪い?」
「世間の荒波に揉まれたと言ってください」

 きゃらきゃらと笑うリィとは、先程の迫力などぬぐい去ったかのようだ。
 こういう時だけは年相応の娘たちに見える。
 そんな二人を眺めていたウォルは、おおそうか、と突然手の平を打ってみせたた。

「お前たちに身分がないのがいけないなら、俺が適当な身分を与えればいい。皆が納得してお前たちにひざまずくだけの身分をな」
「勝手にそんな都合のいいこと……」
「王とはそういうことだけ便利なものだ。……そうさな。いっそ、デルフィニア王女、グリンディエタ・ラーデンというのはどうだ?」
「なんだって?!」

 ぎょっと翠の目を剥いたリィを無視して、ウォルはにこやかにに向き直ってくる。

、お前も王女になるか?」
「いっ!?」

 この男は、やると言ったらやる。
 そんな面倒なものになってたまるものか。大体ウォルの義娘なんて聞くだけで大変そうじゃないか。
 慌てては首を振った。

「絶ッ対いらない!」
「しかし周りがうるさいぞ。やはり適当な身分が……」
「えっ、いや、ほ、ほら、どうせなら王女より、国王専属の医者とかがいいな! うん!」

 必死だ。
 しかし悪くない申し出に、ウォルは大きく頷いた。

「よし。王座を取り戻した暁には、侍医に迎えるか」
「ぜひそうして!」
「あっ、こら! 一人だけずるいぞ!」
「うむ、我ながらいい考えだぞ。俺は今のところ一人身で子もないし、王国の後継者はぜひとも必要だったところだし、そうしよう」
「そうしようって、ちょっと……ウォル!」

 しきりと頷きながら踵を返して砦へと戻っていくウォルに、リィは慌てて追いすがった。
 だがウォルは答えず、笑いながらずんずん歩いていく。
 その背中を追うリィと、くすくす笑いながら付いて行く
 場に取り残されてしまった騎士たちも、この時ようやく驚愕から立ち直り、慌てて主君の後を追いかけてきた。

「陛下!」
「ナシアス、聞いての通りだ。俺はこの娘たちを友として扱う。お前たちがどう思おうと勝手だが、俺に対する態度や口の聞き方に注文をつけたりはするな。二人とも、怒らせると怖いからな」
「私もなの!?」

 心外だ、と言わんばかりのに、ウォルは大きく頷いてみせた。

「当然だろう。お前の訳の分からん理屈で攻められて、その金の瞳で睨まれてみろ、大抵の男は言葉も出てこんぞ」
「止めてよリィじゃあるまいし」
「ちょっと、どうして僕を引き合いに出すのさ」

 他愛ない軽口も、彼らの耳には届いていない。
 騎士団長は単に驚いているだけのようだが、他の騎士たちは明らかに渋い顔で、それでは下のものに示しがつかないとか、どうかお考え直しくださいとか、口々に言い立てる。
 国王はこの抗議に首を傾げて、ふむと呟いた。

「やはり二人とも王女としてしまった方が、早い気がするな……」
「ぶん殴られたいのか」
「やったら下剤混入してやる」

 この脅しに、聞いていた騎士団一同はぞっと震え上がった。
 けれど言われた当人は気分を害した様子もなく、むしろ楽しそうに、こっそりナシアスに耳打ちした。

「ほらな、怖いだろう」
「「ウォル!」」
「わかった、わかった。とりあえずコーラルを取り戻してからのことだ」

 ウォルは笑いながら二人を促し、砦の橋を渡った。
 気分は驚くほど、清爽としていた。




 王女は何とか逃れました。
 ちなみにウォルの言葉は、近い将来両方現実になります。

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