ビルグナ砦の門をくぐりながら、そう言えば、とリィが横を振り向く。 「自己紹介がまだだった。グリンディエタ・ラーデン。リィだ」 「・です」 「ラモナ騎士団長ナシアスだ」 つられて名乗り返してしまい、ナシアスは何とも言いがたい顔になった。 他の騎士たちも同じく、どうも釈然としない顔つきでいる中、三人は砦の中心を成している塔へと案内されていった。 国王帰還を心より待ち望んでいたビルグナだが、極秘を要するとあって、華々しい宴などは行えない。 団長ナシアスを始めとする限られたものたちだけが、国王と食事を共にし、コーラル奪回の方策を密やかに検討しあった。 「も参加する?」 「うん。一回くらいは見ておきたい」 この台詞を耳にすれば、ガレンスが怒り狂うことは間違いないだろう。 現在の状況は、ペールゼン率いる革命派は総勢一万の近衛兵団を手中に収めており、どの地方領主たちも革命派をおそれて反旗を上げそうにもない。 確実に味方といえるティレドン騎士団を筆頭に、ヘンドリック伯爵やドラ将軍たちは、全て革命派に抑えられて身動きが取れないでいる。 「一万に対して、こちらはビルグナの二千。……奇襲をかけても難しいよね」 「だろうな」 リィもウォルも考え込んでしまった。 下手に攻め込めば、人質となっている人たちの命にかかわる。かといってこのままにしておくわけにもいかない。 「我々は犠牲を惜しむものではありません。我がラモナ騎士団が全力を以て攻めかかれば、相手が近衛兵団であろうとも五分の勝負を譲りは致しません。しかし勝ちを収めたとしても、その方々の身命が失われた上では……」 「意味がないね」 熱く語る騎士をすっぱりと切って、リィが言った。 「コーラルを取り戻したとしても、首都は半壊、味方は全滅じゃあ、ウォルは裸の王様だ」 「しかも、負けたらそれまで」 ぽつりと呟いたの声は、怖ろしく冷やかに響く。 ナシアスは柔和な顔にさすがに苦いものを張りつけ、その横にいた屈強な騎士が、今度こそ顔面を真っ赤にして身を乗り出した。 「よいか、娘」 「なんだい、男」 「男ではない。ガレンスだ!」 「リィだよ。ガレンス」 完璧にリィの手中である。 人を食ったようなしゃべり方に、ウォルとは揃って笑いを噛みしめた。 屈辱に両手を握りしめたガレンスは、それでも女子供に声を荒げるわけには、と精一杯穏やかな声で言った。 「陛下の思しめしとあれば、止むをえん。しかしだ、恐れ多くも陛下を、その、御名で呼びつけるとは無礼ではないか」 「ガレンス。名前ってのはそのためにあるんだ」 真顔で言いさとした少女に、団長、副団長ともに、げっそりと肩を落とす。 しかしさすがにナシアスの方が先に立ち直ると、柔らかな声でゆっくりと諭すように言った。 「では尋ねるが、きみは何故、コーラル奪回に反対なのかな?」 「間違えないで。強引なやり方に反対なんだ」 「どうして?」 優しげに、おもしろそうに尋ねたナシアスである。 子供をあやす時の大人の顔だった。 少女はそれに気づいたのかどうか、にっこりと笑ってみせる。 「だってコーラルを傷物にしたんじゃ意味がない。簡単じゃないのもわかってる。だけどね、ここにちゃんと本物の王様がいるんだから、王冠載っけてあげるのが筋ってもんじゃないか」 「かたじけない」 周囲が唖然とする中で、当の王様が小さく吹き出し、少女に向かって丁寧に頭を下げた。 そしてその後、とうとう堪忍袋の緒が切れたガレンスに、腕試しを兼ねた『賭け』が明朝行われることになった。だが、リィの腕を嫌というほど知っているウォルとリィには、勝敗などとうに見えている。 明らかに楽しげなウォルに、は少し口を出すことにした。 「でもウォル、欲ばりだよね」 「欲ばりとは?」 「街も守りたい、人質も助けたい、ついでにこちらの軍勢も最小限の犠牲で、なんて注文が多すぎると思う」 「まぁな。だがそうせねばならん」 したり顔で頷くウォルに、はつい皮肉を言ってしまう。 「欲張りすぎるといいことないってのが通例だよ?」 「うむ。――しかし俺は、どれも手離したくないのだ」 ヒビキは言葉に詰まった。 実にあっさりと言いのけてしまったウォルは、の心情など知らず、真剣な眼差しを向けてくる。 「無理だと思うか?」 「……無理っていうか、まぁ、無謀だとは思う」 「だろうな」 反論もせず、ウォルはひとつ頷いた。 その漆黒の瞳は、どこも向いていない、遥か遠くを見つめているようにも見える。この先にあるのは、男が焦がれる、美しい首都なのかもしれない。 「……ウォル、偉いね」 ぽろりと零してしまった言葉に、国王は目を剥き、そして朗らかに笑ってみせた。 不経済だから、とその理由だけで一緒に風呂に入っていった二人を、はのんびり待ち呆けていた。 男女共に風呂、というのは流石にどうかと思ったが、当人たちがいいのだから仕方ない。 部屋を往復している間の燃料がもったいない、同じくらいけちな考えで、廊下で立ち往生しているは、石造りの天井を見上げながらつらつらと考え事をしていた。 「本当、似たもの同士……」 「誰がだい?」 ふと視線をずらせば、柔和な顔をした騎士団長が立っている。 重苦しそうな外套や上着を脱いで、くつろいだ格好になったナシアスに、はそっと目礼した。 「陛下は湯殿かな。……あの少女はどこに行ったんだい?」 「リィもお風呂です」 「……そ、うなのか」 何か変なものでも飲み込んだような顔になったナシアスの気持ちは、よく分かる。 だってあの二人でなければ、絶対止めていた。彼らの間に流れているものを感じれば、それが杞憂だと解るのに、やはりどうも落ち着かない。 友人たちは全員異性だったので、は裸と裸の付き合いというものをしたことが無い。あったらあったで問題だ。 「私が入るのは、二人して嫌がったくせに」 「はは……」 チッと軽く舌打ちしてみせるに、ナシアスもそれはそうだろうと思う。 リィのような少女ならともかく、は胸も尻も膨らんだ、立派な娘なのだ。標準からすると体付きがかなり薄いが、常識からいえばそろそろ嫁いでもおかしくない。 「……君は、どうして陛下に付いてきたんだい?」 「理由は二つ。ウォルに――まぁウォルとリィに助けられたのと、他に行く所がなかったからです」 指を立てて説明したに、思わずナシアスは苦笑いを浮かべた。 思った以上にざっくばらんな性格らしく、表面をとりつくろうとか、本音を隠そうとか、そんな意思がまったく感じられない。 「親御は心配されていないか?」 「そう、ですね。何も言わずに出てきたようなものですね」 冷たい壁に背中を預けて、ふとは両親の顔を思い浮かべた。 この世界に来て、半月以上たった。 の故郷は、ティラ・ボーンから一番早い船でも三日はかかる、文字通り辺境惑星だ。 流石に連邦警察にも連絡がいって、公開捜査あたりに踏み切られているだろうか。クラスメイトも友達も、やはり心配しているだろうか。 「聞いてもいいですか」 「何をだい?」 考えるのはよそう。 無意識に胸元をぎゅっと握りしめながら、はナシアスを見上げた。 「私って、どういう育ちに見えるんでしょう?」 「そうだな……顔立ちからして、この大陸の者ではないだろう? それに妙に落ち着いた雰囲気は農民ではないが、貴族とも違う。話し方からするに、商人の一人娘、といったところかな」 「いいですね、それ。今度からそう説明します」 くすくすと笑っている娘に、ナシアスは毒気を抜かれてしまう。 リィのような明らかな不思議さのない、一見どこにでもいる娘のようだ。だがそれが間違いなのは、門前での国王との会話で明らかだ。 「君は一体、何者なのかな」 「どこにでもいる、ただの一般市民ですよ?」 「とてもそうは見えないがね」 ふと、の顔が翳った。 おやっと目を見張ったナシアスの前で、思わず本音が零れてしまう。 「……本当に、リィみたいに剣の腕も、兵法も、何もないです。最初は、リィ以外にウォルを手助けできる人がいなかった。でも今は、必要なくなりましたし。……口では偉そうなこと言えますけど、実際役に立たなきゃ意味がない」 ぽつり、ぽつりと呟くの横顔。 そんな姿に、ナシアスは初めて娘の感情に触れた気がした。 同じ黒髪のせいか、それとも自分の力不足を悔しがる表情のためか。あの友人もきっと今同じような顔をしているのだな、とナシアスは思う。 彼の人は、息災でいるだろうか。 「そうかな?」 気づけば、ナシアスは娘に微笑みかけていた。 暗がりの蝋燭の灯火を受けて、橙色に輝いているの双眸が、ぱちくりと何度も瞬いた。 「陛下は、君を友と呼ばれた。名を呼んで、力を貸してほしいと言われた。……あのお言葉だけで、陛下がどれほど君を信じているか伝わってくる」 そして、とナシアスは付け加えた。 「少なくともあの少女は、君を必要としていると思うよ」 「……あの、もしかして、慰められました?」 「口が悪いが、君はいい子だね」 友人を思い出すよ、と微笑むナシアスから、はふいっと目を逸らした。 耳がほんのり赤くなっている。 下手に照れを隠そうとする、年頃の娘らしい、初々しい仕草が可愛いらしい。 「君のその、現実をあるがまま受け止めようとする姿勢は、天賦の才だ。頑張りなさい」 そう言って、滑らかな黒髪をよしよしと撫でる。 年の離れた妹がいたら、こんな感じだろうか。 おてんばで一直線な妹しかもたなかったナシアスに、ようやくは頷いた。 「分かりました。それじゃ、頑張る努力をします!」 「手始めに、何をだい?」 「そうですね。……この砦に、医者っています? こっちの医療技術がどんなのか見てみたいんですが。あと、医学書とか薬草の図鑑があったら借りていいですか?」 矢継ぎ早に頼んでいくに、ナシアスは驚きながらも微笑んだ。 なんとまぁ、立ち直りの早い。 「明日までに手配しておくよ」 「あ、それと――」 「明日の勝負、リィとガレンスさん、どっちが勝つか賭けません?」 「……もう大丈夫だね」 ナシアスは返答せず、苦笑するだけに留めておいた。 眩暈がする。 侍従の少年が真っ赤な顔をして、風呂場から飛び出してしまった。 対しての頭は真っ白だ。 「…………リ、ィ……」 「何?」 は大きく深呼吸して、何とか胸中の動揺を押さえ込む。 そしてキッと前を向くと、本当に不思議そうに首を傾げているリィに、まるで子供に言い聞かせるかのようにゆっくりと、静かに話した。 「例えば、もし私がお風呂から裸で出てきたら、どう思う?」 「どうって、そりゃ止めるに決まってるじゃないか」 「何で?」 「だっては女の子だろ。男ばっかの場所で裸になるなんて、だめだよ」 「うん、そうだね。普通はね」 そしては息を吸い込み、 「……自分の格好も考えなさい、この馬鹿!!」 怒声が響いた。 とりあえず居場所がどうとか悩むのは、この少女に常識を叩き込んでからにしよう。 リィの頭から肌着をかぶせながら、そう誓っただった。 ……あれ、ナシアス夢? 邪魔でしかない自分に、ちょっぴりヒロイン苦悩編でした。 Back Top Next |