宴会の翌日、一向はギルツィ山を越えてロシェ街道を進んでいた。
 本来ならタウの男たちとは街道で別れるはずだったが、イヴンと初めとする面子が同行を申し出たのだ。彼らもまた珍品中の珍品の王様に興味を持ったらしく、ひっとらえた山賊の護衛は途中合流した自由民にまかせ、コーラルまでの旅路に力を貸すとまで約束した。
 そしてまた、これを断る国王でもない。
 あっさり笑って承諾したのだが、タウの男たちは当然の顔で付いてくる二人――リィとが何者なのか、なぜ国王と一緒にいるのか、気になりだしたようだった。

「ええと、ですね。王様」

 ツールのブランが頭を低くしながら言い出した。
 どう接していいやら、態度に困っている様子がありありと出ている。まさか呼び捨てにするわけにもいかない。一応王様で統一することにしたらしい。

「何かな?」
「へえ。あの嬢ちゃんたちなんですがね。どこまで連れていかれるおつもりなんで?」
「むろんコーラルまでだ。あの娘たちは俺の王冠を取り戻すのを尽力を尽くそうと約束してくれたからな」
「おい、ウォル」

 イヴンが、これも声をひそめて言った。

「俺はおまえをりこう者だと思ったことは一度もない。それどころか馬鹿の部類だと思ってたが……」
「そこまではっきり言わんでくれなくても構わんのだが」

 あんまりな言葉にウォルも苦笑いを浮かべる。
 しかし国王の嘆きを、幼なじみの山賊は頭から無視した。

「状況判断はできる奴だと思ってたぞ。あんな小娘二人を連れて行って何の役に立つってんだ?」

 ウォルはぱちくりと瞬いた。
 次いでふっと微笑むと、――何か気の毒なものでも眺めるように、ぽんっと幼なじみの肩を叩いてやった。



「イヴン。そう思っていられる内こそ幸せだぞ」
「はあ?」
「すぐに分かる。……すぐにな」



 なぜか遠くを見つめるウォルに、イヴンは碧の目を白黒させた。
 彼女たちがどのくらい常識離れしているか、語ったところで彼らは信じないだろうし、自分もさんざん驚かされたのだ。他人にも同じ目に遭ってもらわなければ不公平だ。
 そんな奇妙な理屈をもって国王は沈黙を守ったし、少女たちのほうも必要がない限り、常人離れした力や行動を見せつけたりはしない。そうなると多少変わっていても、ごく普通の少女のように見えるので、男たちはひたすら二人の身の安全を心配し、いざという時の足手まといを心配している。
 国王にとっては大笑いだ。
 しかしその能力の一端は、すぐさま現された。街道沿いの細道をたどっていたリィが不意に立ち止まり、じっと耳を澄ましたのである。

「どうした。リィ?」
「何か来る」

 過去、何度もこの耳に助けられているウォルとは即座に立ち止まった。
 しかし、イヴンをはじめとするタウの男たちには、この緊張の理由が分からない。
 鳥が鳴き、丘の上を雲の陰が流れていく。平和そのものの光景だ。しかしリィは構えを解こうとしない。これから道が合流しようとする前方、左手の方向に眼を凝らしている。

「多いな。ちょっと普通じゃない」
「五十か、百か?」
「そんなものじゃきかない。多分、どんなに少なくても二千はいる」
「なに!」

 国王は驚き、他の男たちはあっけにとられた。

「おいおい、嬢ちゃん。馬鹿を言うもんでねえ」
「そうとも。それじゃあまるで戦に出ていく兵隊さながらじゃないか」
「だと思う。半分近くが騎馬だ。それにたぶん全員が武装してる」
「冗談だろ?」

 イヴンが疑わしげに言ったが、国王たちは迷わなかった。すぐさま身を翻し、仲間たちにも隠れるように身振りで示した。

「おい、ウォル」
「黙っていろ、イヴン。西から来るなら、その軍隊は俺たちの目の前を通るはずだ」
「おまえ……信じてるのか?」
「すぐにわかる」

 その通り、すぐにわかった。
 遠目に槍の穂先が煌めき、無数の旗印が天を指してはためいているさまが、まもなく男たちにも見えたのである。

「こりゃあ驚いた……」

 イヴンが正直な感想を洩らした。リィの言うことが当たったからではない、すぐさま戦場へ赴こうという一軍のものものしさに驚いたのである。
 さらには軍勢の中にたなびく旗印を認めた時、国王が低いうなり声を上げた。

「なんと! ロアの旗ではないか。ラモナ騎士団旗もだ!」

 皆、まさかと思った。
 ロアの領主はコーラルに捕まっているはずである。
 家臣の者たちが主人の留守中に勝手に主人の旗を揚げることができるはずもないし、第一、方向が逆だ。これではまるでロアへ戻っていくように見える。

「あれ、味方なの?」
「旗印の通りならばな」

 彼らは一度、軍勢の目の届かないところまで引き上げ、木蔭に隠れ、近づいてくる軍勢を見守った。
 なにしろ、こちらは十人余りしかいないのである。
 迂闊に声を掛けるわけにはいかないのだった。
 しかし、白昼のことである。軍勢が近づけば本物か偽物かはいやでも分かる。まして男の眼は長年親しんだ人を見誤るようなものではなかった。

「真昼の夢でなければ、ロアの旗の中心にいるのは紛れもないドラ将軍だ」

 断言した。
 一方のドラ将軍は、この半年ほとんど思い焦がれていた人が黙々と馬を進めていく道端に立ち、笑いながら手を振っているのを見た時、ロアの男としてはあるまじきことながら、鐙を踏みそこねて落馬しかかったと後に語った。

「ウォル……わざと?」
「うむ」

 旗印の真下にいる姿が大きくよろめいたのを見て、ついも笑みを洩らす。
 この国王はこうした茶目っ気もあるから面白い。
 進軍停止の合図が鳴り響いた。
 ドラ将軍は転がるように馬を飛び下りると、抱きつかんばかりにして国王の足元にひざまずいたのである。

「よく……よくぞご無事で、よくぞご無事でお戻りくださいました!」
「お元気そうで何よりだ」

 国王のほうもこの忠実な臣下の手を取り、立たせてやりながら、かろうじてそれだけ言った。どちらの眼も熱いもので濡れていた。
 国王健在と聞いてロアの勇士たちが次々に馬を戻し、あるものは一言挨拶をと駆けつけて来る。
 危うく混乱に陥りかけたのをドラ将軍が鎮めた。

「ここで軍勢を止めてはならん。陛下、とりあえずロア止まりといたしたいのですが、異存はございますまいか」
「あろうはずがない。俺もそのつもりだった」

 国王帰還を全軍に知らせる角笛が高々と鳴り響く。
 応えて先鋒からも後続からも、次々と音色の違う角笛が鳴り響いた。

「陛下。どうぞ……」

 ロアの男たちが馬を連れてくる。
 おそらくは自分たちの替え馬なのだろうが、国王はありがたく受け取って、自分たちの連れにも馬を与えてくれるように頼んだ。
 しかし、そこで小さな問題が生じていた。
 困ったように目前の馬を見上げているに、既に騎乗したリィが声をかける。

「あれ、、馬に――……乗れるわけないよね」
「解ってくれてありがとう」

 しみじみ頷いたは、乗馬経験などまったくない。
 この世界に来るまで馬を見たことがなかったにとって、馬に乗るなど未知のことだ。一度だけ経験はあるが、あれはリィとの競争で飛ばしすぎた馬に酔ってしまったため、あんまり思い出したくはない。
 じいっと馬と視線を合わせて睨みあっているに、苦笑したリィが手を差し出した。

「仕方ないなぁ。ぼくといっしょに乗る?」
「お願いします」

 即座にはその提案に乗った。
 手を握ると、リィはその腕力でもって軽々とを馬上まで引き上げてくれた。
 どうしようか迷ったが、侍従の服を着ているのに女座りは違和感がある。両足を開いて馬の背にまたがると、リィの腰にしっかり捕まった。

「用意はいい?」
「いつでもどうぞー」

 気軽な声に笑いながら、リィはひとつ鐙を蹴った。
 すぐに全軍一体となっての行進が始まった。歩兵の歩みも蹄の音もきれいに揃って、その勇ましいこと、心弾むようだった。
 騎乗のナシアスとガレンスが近寄ってきて、国王に目礼していった。すぐ傍で二人乗りをしているリィとに微笑みかけたが、声を掛けようとはしない。
 そんな中で、タウの男たちだけは、少しばかり居心地の悪い思いをしていた。
 自分たちはお尋ねものであり、この軍勢はいわば役人の集まりである。
 馬を与えられ、国王のすぐ傍に控えてはいるものの、自分たちはここにいていいのかと誰もが考えたが、イヴンが無言でそんな動揺を鎮めた。
 彼はまるでそれが当然のように、男の右にぴたりとつき、左にはこれまた当然と言うように、リィとの馬がいる。
 タウの男たちは負けてはいられじと、あるものは男の後ろに、あるものはイヴンの横に並び、ぐるりと囲む。
 そうしてゆっくりと馬を進ませていた国王の傍に、一頭の鹿毛が軽やかな音を立てて近づいてきた。

「……あれれ」

 その姿をいちはやく目視したが、琥珀色の目をぱちくりとさせる。
 タウの男たちは自分たちに断りなく国王に近づこうとするものを一睨みしようとしたが、騎手が若い女性であることに、同じく眼を丸くした。
 シャーミアンである。
 ロアを代表する女騎士は国王に礼儀正しく目礼し、横を進む少女たちに優しく話しかけた。

「はじめまして。わたしはシャーミアン。貴女たちがグリンダとね?」
「リィでいいよ」

 それだけ言ってから、リィはちょっと眼を見張ってシャーミアンを見た。

「男の兄弟はいないの?」
「え? ええ」
「お父さんは、だから女の子なのに、きみを戦に連れていくの?」
「あら。父を知っているの?」
「ドラ将軍でしょ?」
「ええ、そうよ。陛下に聞いたのね?」

 シャーミアンがそう言ったのも無理はなかった。
 自慢ではないが、名乗りを上げずに自分と父とを親子と見る人は、稀というより皆無だったからである。
 横のなぞ、シャーミアンの美しさに感嘆しつつも、髭のお父さんと似なくて良かったねぇ、と非常な感想を抱いてさえいた。
 ところがリィは首を振った。

「聞かなくてもわかるよ。よく似てるもん」
「まあ」
「……どの辺りが?」
「雰囲気とか、匂いとかかな」

 子供っぽい会話にシャーミアンは顔をほころばせた。
 おもしろいことを言う少女だと思った。
 同時に、この少女たちのことを話した時のラモナ騎士団長と副団長の様子を思い出して、おかしくなった。どうやら自分と父はあの二人にからかわれたらしいと思ったのだ。


 力でガレンスに上回り、剣術でナシアスを上回った、美貌の少女。
 腕一本で大の男を悶絶させる、異国の娘。


 身振り手振りをまじえたかなりの熱演だったが、この少女にガレンスを叩き伏せることも、娘が男たちに恐々と怯えられるのも、想像するのも難しかった。
 二千五百の軍隊は堂々の行進を続けていた。
 粛々として街道を進む軍勢に、道行く人たちが眼を見張っている。
 驚くものもいれば、いったいどこの軍隊だろうと不思議がる者もいた。そのたびにドラ将軍配下の者が馬上から、謀反人どもを追放するための国王軍であると大音声に説明をする。
 その情報は軍勢と同じくらいの速度で進み、ロアへ到着するころには、国王軍の存在は付近一帯にくまなく知れわたるまでになっていたのである。





 またまた幕間。
 次回ようやくロアに入ります。

 Back  Top  Next

inserted by FC2 system