ロアが混乱の渦に陥った、翌朝。
 黒主は本当に将軍家の近くに現れた。
 その堂々とした態度に人間の方が慌てふためき、どうしたらよいかと将軍に中心が走る中、少女は当然のようにこの友達を出迎えた。
 国王が言ったことは正しかったようで、黒馬はリィ以外の人の手をまるで受け付けなかった。鞍を乗せるのを手伝おうとこわごわ近寄った従者も、あやうく噛みつかれそうになって飛び離れる始末である。
 しかしそんな中、無謀にもひょこひょこと近寄っていった娘がいた。

「おはよう、リィ」


 何だこいつは、と歯を剥いた黒馬をやんわりと少女が制する。
 相変わらず従者の服に身を包んでいるは、リィが鞍を置いて腹帯を締めている様子を見上げ、そして思わずため息が出た。
 馬に慣れていない自分でも分かる、――力強い美しさと凛々しさ。
 鋭い瞳から蹄の先までが真っ黒で、つやつやと輝いている。頭上から一瞥してくる眼の光も、その堂々とした佇まいも、並の者など一撃で踏み潰せそうな貫禄がある。
 だが最適な褒め言葉など分からず、ただ黒馬を見上げてが言ったのは、

「……美人だねぇ」

 だった。
 だが心からの感嘆に、思わずリィは笑みを浮かべる。
 この辛口かつ手厳しい友達からのものにしては、最大限の誉め言葉だろう。

、黒主は人間じゃないよ」
「それじゃ、美馬だね?」
「うーん、それも違う気がする」

 大真面目に首をひねる二人に、呆れた眼差しで見やる黒主。
 それでも心底誉められたことは分かるらしく、今までのように噛みついたり蹴飛ばしたりして傍から追い払おうとはしないだけ大譲歩だろう。
 真上から眺める黒馬の首筋を撫でながら、リィはひょいとを指した。

「これ、。僕の友達」
「ご紹介に預かりまして、人間のです。どうぞ宜しく」

 びしっと敬礼して自己紹介。
 おかしな行動に、黒馬の視線がとリィを行ったり来たりする。
 何だこの変な人間は、と言いたげにその目を細める黒馬に、リィはぽんぽんとその毛並みを叩いてやった。うん、その感想は間違っていないぞ。
 だがは二人(?)の言動にも頓着せず、その首を小さく傾げてみせた。

「リィ、黒主って名前あるの?」
「あ、そうだね。いつまでも黒主って呼ぶのもね……」

 黒主とは代々続く黒馬の呼び名であって、この馬の名前ではない。
 何かこの馬に相応しい名前はないだろうか、と頭をひねるリィの隣で、はかなりすっ飛んだことを言い出した。

「やっぱりヒヒンとか馬の鳴き声が基本なのかな? 人間の耳で判別できるといいけど」
「……、噛まれる前に逃げた方がいいよ」

 見れば、黒馬が不機嫌そうに歯を剥いている。
 こちらの言葉も理解できるらしい頭のよさに感動しつつ、即座には従った。










 練習場には、大勢の人で賑わっていた。
 リィが弓を引くというのでロアの男もラモナ騎士団も、ぞろぞろと見物に来ているのだ。
 駆けつけたドラ将軍が溜っている兵隊たちを叱りつけたが、詳しい話を聞くとすぐさま自分も一員に加わってしまったから、どうしようもない。

「おはようございます、将軍」
「うむ、お主か」

 元々お年寄り受けはいいである。
 昨日のリィの行動も相まって、ロアではあまり目立っていないは、平然とした顔で将軍の隣で歩き出した。時々ラモナ騎士団員から異様な視線を向けられるのは、多分ご愛嬌だろう。
 馬場の中央にいる国王の下に向かいながら、ここぞとばかりに苦言を落とす。

、前から苦々しく思っておったがな」
「はい?」
「陛下を呼び捨てにするのはいかん。臣下は臣下らしく、常に敬う言動をせねばならぬ。分かったな?」
「……。分かりました」

 まぁいっか。
 正直どちらでもいい、とはあっさり頷いた。
 リィのような剣士の誇りには程遠い性格であるは、臨機応変・適材適所が常でもある。やれと言われればやってみせる。
 それにどちらかと言えば、国王のリアクションが楽しみだ。
 そう思ったに、件の声が聞こえてきた。

「両手が自由なほうが弓を引きやすいのだろうよ。これで賭けは俺の勝ちだな」
「ちっくしょうめ。俺はもう、あの嬢ちゃんに関するかぎり絶対にお前たちとは賭けねえぞ」
「――陛下! それにイヴン!」

 早速雷が落とされた。
 イヴンから銀貨を巻き上げていた国王は、眉を吊り上げた将軍の姿に、うげっと目を見開いてみせた。その様子は悪戯を見つかったガキ大将そのものだ。
 気苦労の絶えない将軍に叱られた国王は、離れたところで苦笑うを慌てて手招いた。よほど雷から逃れたいらしい。
 そんな国王にハートマークをつける勢いで、は最高に可愛らしく言ってみた。


「お早うございまーす陛下、今日もいいお天気ですねっ」


 あ、転んだ。
 自分の足につまづいて体制を崩し、危うく地面と激突しかけて何とか立ち直った、そんな国王の一部始終を眺めてしまった。
 見ればイヴンも、炉辺の石を飲み込んだような表情でを凝視している。
 かなり酷い態度ではないだろうか。

「………………、今のは何だ」
「『いいお天気ですね』?」
「その前!」
「『お早うございます』?」
「違う!」
「んじゃ『陛下』?」
「そうだ!」

 強く大きく言い切られた。
 で、わかってやっているから性質が悪い。
 何故か真剣な眼差しで詰め寄ってくる国王に、内心の大爆笑を必死にこらえながらは小首を傾げてみせる。

「えーと、臣下の心得ってヤツに目覚めてみました」
「嘘を言うな!」
「別に気にしなくていいですよ、陛下?」
「……リィに殺されそうだ」

 真顔で言った国王に、イヴンも賛同してしまう。
 やたらとに過保護な少女のことである。いくら本人が納得しても絶対に了承しないだろう。この会話を耳にしただけで、国王に威嚇射撃をしかねない。
 それ以前に本人の神経が持つかが問題だが。

「いいじゃないですか、ちょっと陛下呼ばわりするくらい」
「駄目だ、俺が耐えられん!」
「すぐに敬語にも慣れますってー陛下」
「……!!」

 どこか言語がおかしい。
 そこまで嫌がらなくても、私が泣かせたみたいいじゃないか、と思ったが、国王もイヴンも真剣そのものだ。見ればドラ将軍も冷や汗を流している。
 むっと気分を害しただったが、次の瞬間にはにやりと笑ってみせた。

「よし、頼み事したい時はこの手で行くか」
「あまり多用してくれるなよ。何にでも頷きそうだ」
「はーい」

 素直な返事に、思わずほっと息を吐いた。
 しみじみと頷いたところに、見事な矢継ぎ早を披露した少女が戻ってきた。
 均等の間隔をおいて立てられた十あまりもの的すべてに、それも真中心に矢が突き刺さっている。
 少女の腕前に、どの兵士も抑えきれない興奮に顔を紅潮させ、その眼は熱狂的な賛美に輝いている。無理もない。この土地では馬を扱いこなし、弓の扱いに熟達しているものがもっとも尊敬されるのだ。
 ロアの男たちにも真似できない、たいへんな技量を見せて帰ってきた少女は、馬上からあれっとその眼を見張らせた。
 ウォルの苦々しい顔と、の朗らかな笑顔。
 またも見覚えのある二人の対極的な表情に、リィはまた何か起こしたなと感づいた。

「今度はどうしたの?」
「ちょっと敬語使って陛下って呼んだだけ」

 リィは口を閉ざして翠の双眸を見開き、そして言った。

「……えーと、新しい嫌がらせ?」
「失礼な」

 ぷうっと頬を膨らませるに、リィは笑いながら馬から下りた。
 ロアの男たちが絶賛するほど見事な腕前を見せておきながら、この少女は汗もかいていない。まさに現世のバルドウの娘に、ほがらかに国王は笑ってみせた。

「もう終いか、リィ。兵たちにも何よりの眼の保養だったぞ。もう少し見せてやればよいに」
「後は実践でいくらでも」

 疑うまでもない言葉だった。
 この少女が黒主に乗って軍の先頭を進めば、どれほど絵になることか。
 自軍の興奮と敵軍の狼狽が目に見えるようだと内心ほくそ笑んでいた国王は、おおそうだ、と横にいる黒髪の娘を振り返った。

「留守は頼むぞ、。なに、バルドウの娘がいれば百人力だ」
「……は?」

 返ってきたのは呆けた声だった。
 琥珀の目をぱちくりと瞬かせるに、国王もつられて目を瞬かせた。

「何言ってるの?」
「なに、とは……」
「いや、だから、私も戦に行くけど?」

 一瞬時が止まった。
 至極当然に、当たり前のようには宣言した。
 しかし、それに周囲の戦士たちは眼を剥いた。予想外だったと言ってもいい。それほどが、この娘がロアに残るものだと考えていたのだ。
 最も強く反発したのは、国王当人だった。

「な――ならん!!」
「どうして?」
「それは、つまり……とにかく、駄目なものは駄目だ!!」

 国王というより、まるで頑固親父だ。
 まったく理由になっていない反対だが、反対する意欲は伝わってくる。ましてや周囲も国王に賛成している雰囲気なのだ。
 だが、の味方が皆無ではなかった。
 ひょいっと身軽に黒馬から飛び下りたリィは不思議そうに、これまた可愛らしく小首をかしげてみせた。

「あれ、連れて行かないつもりだったの?」
「リィ!?」

 思わず国王は声を上げた。

「だが、しかし、はまだ子供だぞ!?」
「僕だってシャーミアンだって、まだまだ年端もいかない女の子じゃないか」
「……しかし、それは」

 リィの剣や馬捌きは語るまでもない。
 ドラ将軍の愛娘であるシャーミアンも、男の騎士顔負けに剣を揮う。
 けれどそれは彼女たちが特別なのであって、まさか世間一般の女子に当て嵌めていいものではないのだ。
 ええいこんな時ばかり娘らしくしおって、と内心葛藤する幼馴染の心境を理解した山賊は、わざと明るく声を掛けてみた。

「なあ、嬢ちゃん」
「もうお嬢ちゃんって年じゃないんですが」

 何せもう十七歳、高等部二年生だ。
 シャーミアンとも同い年だが、案の定かなり年下に見られている。……もうこうなれば、リィと同年齢と思われてないのを祈るばかりだ。
 そんなことを考えて内心ため息をついたに、呆れたようにイヴンが言葉をつむぐ。

「腕に自信はあるのかい?」
「自慢じゃありませんが、戦に出たら三分で死ぬ自信がありますね」
「「……」」

 無駄には胸を張った。
 もはやインスタントな自殺である。何の役にも立たない無駄な自信だが、自分をよく知るのは大切なはずだ。多分きっと。
 だがわざわざ死にに行く趣味もない。勘違いしている国王たちに、はひらひらと手を振った。

「あのね、そうじゃなくて、医務の手伝いをするの」
「医務のか?」
「軍医の人たちのOK――了解はもらったし、むしろぜひ手伝ってくださいって」
「……余計なことを……」

 笑顔でぐっと親指を突き出したに、国王は内心その軍医を叱り飛ばす。
 しかしその判断は正しいと言うべきだろう。血液循環や神経、筋肉や骨の構造などを勉強している真っ最中だったである。難しい病気ならまだしも、大小の裂傷の対応ならば足手まといにならない。
 しかし、絶対に安全ではないことに変わりはない。
 ましてや血と汚泥に塗れる戦場で、殺気に満ちた兵士たちに囲まれて、のような年頃の娘が心身ともに無事でいられる保障はどこにもないのだ。
 だからこそ、国王と山賊は声をそろえて反対した。

「けどよ、ここに留まりゃいいじゃねえか」
「俺たちが行くのは戦場だと、分かっているのか?」
「……うん」

 分かっているはずがない。
 戦争なんて、画面の向こうでしか見たことがない。
 安全な飽食時代に生まれ、どっぷり平和に浸かった現代の子供なのだ。
 けれど、経験の無さを言い訳にして目を逸らしてはいけない。生身の人間を相手にするからこそ、誰にでも堂々と顔を上げて生きなければ。
 私は『それ』を選んだのだ。

「ウォル、私の職業は?」
「……医者だろう?」
「まだまだ卵以下の見習いだけどね」




「患者から逃げる医者なんて、ただのクズでしょ?」




 虚を突かれた。
 怖ろしいほど責任感を背負っている、黒髪の娘。

「私にできることがあって、それが手助けにもなる。――だから行くよ」

 反対するならすれば?
 そう言って笑ったに、誰もが言葉を失くす。
 自分たちが騎士の誇りを胸に抱いているように、医者としての誇りがあるのだと、気づかされてしまった。
 誰もが感嘆の眼差しでを見つめる中、本人はあれっ? と内心慌て出した。
 まずい、こんな真面目な空気を作るつもりじゃなかったのに。
 シリアスよりお茶目な方が大得意でもあるは、助けを求めて視線を動かした。そしてそんな必死の懇願をひしひしと受け取ってしまったリィは、仕方ないなと小さく笑った。

「じゃあ、連れてくってことでいいんだね?」
「あ、ああ……」
「それにのことだから、置いてってもこっそり付いてくるに決まってるよ。それなら最初から連れて行った方がいいって」
「リィ、分かってるー」

 諦めたような口調にあっけらかんとした声が続く。
 ようやく普段の空気が戻ってきたところで、リィはこれだけは言っておかねば、との顔を見上げてきりっと指差した。

「ただし、絶対前線に出ちゃ駄目だからね!」
「はーい。大人しく怪我人の手当てしてまーす」

 ここだけは素直に頷いた。
 一対一の試合形式ならまだ生き延びる自信があっても、騎馬相手だったり大勢から射られれば即ジ・エンドだ。リィのように飛んでくる矢をばしばし落とす荒業を求めてはいけない。
 だから、自分は自分ができることをしよう。
 そう心に決めたヒビキは、とても嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「これで目標に一歩近づいたよ」
「? 目標か?」
「うん!」

 国王の不思議そうな問いに、は大きく頷いた。
 辛かったあの日々。
 何もできず、身の置き場がなく、の役にも立てない。けれど周りは優しく接してくれる。そんな苦しみのループからも脱出することができる。ようやく恩返しできる。
 そのことが嬉しくて、知らずはぎゅっと拳を握った。


「――目指せ、タダ飯食らい卒業ッ」


 そういう問題じゃない!!
 えいえいおーっと青空に向かって拳を上げたは、同時に複数からはたかれたのだった。





 ……最後をギャグで〆なきゃ落ち着かないんでしょうか。

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